剣持刀也さんが露出狂に二回も遭遇する話です。
二次創作です。フィクションです。
それ以上酷い目にあうとかはないですが、露出狂に遭遇してる時点で十分酷いと思うので、各位、自衛お願いします。
久々に楽しく書けてよかったです。
バーチャルYouTuber にじさんじ
剣持刀也
収録を終えた帰り道のことだった。自営業扱いの僕らは定時という概念がなく、夜遅くにスタジオ入りしたり明け方に始発で帰宅するなんてことがザラである。交通費は出るから遠くから来る同僚たちは新幹線のグリーン車を使う人もいるが、少し乗り換えればスタジオにすぐ向かえる僕なんかは朝帰りの人々に紛れて帰路に着く。
早朝。電車を降りて、ICカードをかざし、鳥の鳴き声のする駅前をすたすたと歩く。人はほとんどいない。朝の早い高校生がちらほらいる程度で、日が昇りかけている薄紫の街。イヤホンをして早足で家に向かう。商店がある通りから住宅街へ。プライバシーを考えて庭木や門で家が覗けないようになっている庭付きの一軒家が並び、歩道と車道に段差がある割としっかりした土地である。通学路にも指定されるくらいだ。元気に秋田犬の散歩をする高齢者とすれ違った。
イヤホンの音楽が変わり、聴きなれないインストの曲が流れた。聴きたい曲がこれといってあるわけでもなかったからランダム再生していたけど、眠くなりそうな音楽だったから僕はスマホを操作してお気に入りの曲までスキップした。早く家で寝たい。
顔を上げると、視界にとんでもないものが飛び込んできた。人間の陰茎だ。コートの下に何も身につけない人が、男が、僕の方を向いて陰茎をまろび出している。ぶら下がっているそれは男性器であることくらいしか情報量がなかった。その男は無口で無表情だった。マスクをしているから目しか分からないけど、何も読み取れない顔をしていた。こちらを見ている。目が合ったと思ったら、視線をよそへと外されて、睨みつけることすらできない。
僕は深呼吸した。妙に生臭い空気を吸い込んでむせた。はぁ、と息を深く吐き、その男を迂回するように歩道を歩く。通報なんてエネルギーのいること、できない。早く帰って寝たいんだから。こうして性犯罪は隠蔽されていく。陰茎のシルエットと男の体型は脳裏に焼き付いたが、脳のリソースはすぐ他のことに割かれてすぐ忘れていくだろう。日々他人から罵詈雑言を向けられている配信者の僕にとっては陰茎の一つや二つ、どうでもよかった。男は動かなかった。僕はしばらく歩いてから振り向いた。追いかけられていたら怖いからだ。男は僕に背を向けて、陰茎を世に開示していた。よりによって早朝にやっているところが珍しいと思った。夕方や深夜ではないのか。朝型の露出癖もあるものだと思った。露出狂のステレオタイプについて僕は考えを巡らせ、いつのまにか聴きたかった曲はとっくに終わっていた。
二週間後に同じ時間帯で収録の予定があった。またヘトヘトになるまで頑張った。早朝の電車で帰って、今度は途中でペットボトルのお茶を買い、飲みながらゆっくり帰った。イヤホンはしないで、鳥が鳴いているのを聞きながらお茶を飲んで、同僚がくれたいい香りのシャンプーの試供品を今日使うかどうか考えていた。
またあの薄紫の住宅街の道路で、彼は露出していた。お茶がまずくなる気がしてかばんにしまった。
男の顔を僕は初めて意識した。父や兄とは似ていないし、同僚とも似ていない。ただこれといって特徴はなく、しかし端正というほどでもないというか。年齢は30代くらいに思えた。若くはないが老けてもいない。腹がやや出ていた。ロングコートかと思っていた彼の着用する唯一の布は実は女性もののシャツワンピースであった。陰茎については特に言及できることはない。
また、大きくため息をついて、僕は迂回して歩いた。どんなリアクションであっても彼は嬉しいと思うのだろう。彼が通報を恐れないのはなぜ。こんなに人通りのない時間に、そこそこいい住宅街でこんなことをするなんて。どういうバックグラウンドがあるんだ。
僕は配信者だ。このことを少し脚色して配信で話してみたい気持ちになった。通報する気にはなぜかなれなかった。
彼から距離を取って後ろを振り向いた。彼は僕に背を向けていた。現れたばかりの朝日が丸い形を空に浮かべようとしていた。彼の形に影が伸びていき、僕の進む方向と反対方向に彼は歩いていく。しばらく僕はそれを見ていて、彼の輪郭がぼやけてきてから僕はまた歩き始めて、家に帰った。
家族には言わなかった。睡眠を取ってから昼過ぎに起き、軽い食事をしてから仲のいい同僚に連絡する。配信で話そうかと思ったけど、自分の中の倫理観に自信がなかった。公然わいせつは犯罪であるし、起きたばかりのことだからまだ茶化すべきではないかもしれない。ブラックジョークにしても人の倫理観をチェックしてからの方がいいと思った。ショッキングな出来事に遭遇してとにかく誰かに吐き出したくなっているのかもしれなかった。だから同僚の中でも特に付き合いの長い信頼できる人たちに連絡を取った。
ほとんどの同僚は心配の言葉をくれて、通報の手順とか相談できる機関を紹介してくれたりした。ありがたいと思った。みんなと話しているうちに別に配信で話さなくてもいいかと思ったし、いい友人に恵まれているとも思った。しかしただ一人だけ、とある友人が心配の言葉の後に彼女らしい視点の話を付け加えた。
「剣持さんがあまりびっくりしなかったっていうの、結構らしいな、って思ったんですけどね。まあ、ふつーに犯罪だと思うんですけど。露出って。公の場だし。嫌な気分になったのは剣持さんの感情として尊重されてほしいんですけどね。全然関係ない話……だと思って聞いてほしいんですが、裸婦像ってあるじゃないですか。ほら、公園とか駅前に、裸の少女の銅像がよく、堂々とあるじゃないですか。あれって芸術だからセーフみたいな単純な話なんですかね。見る人が見たら結構ぎょっとするブツではあると思うんですけど、どういう理屈で公の場に存在が許されているのかと思います。少女のモチーフだと胸とか平たいし、結構幼い感じの裸像なのに、高尚な感じがするのはなんでですかね。裸の女性の銅像って、よく考えたら日本にめちゃくちゃあると思うんですよ。おっさんの像はないのにね。そもそもあれを高尚だと思ってるのってなんでなんでしょうね。わいせつな出版物は規制されるのに、銅像だといいんだ、ってなりますね。剣持さんの話を聞く限りでは、なんというかその、剣持さんが露出狂のおっさんに会って、冷静に審美しているような感じがしちゃいましたね。露出狂のおっさんと駅前の裸の少女の銅像を分けるものはなんでしょうね。剣持さんは裸の少女の像をそのおっさんみたいに直視できますか。出会ったおっさんをかたどった銅像は駅前に鎮座してもいいんですかね」
まあ、僕の幼女への思いを知っているから彼女の頭からこんな話が出てきたのだとは思う。いつもの冗談話だ。
露出狂のおっさんは陰茎を開示して通行人のリアクションを求めていたのだと思う。陳腐な言葉で言えば承認欲求だ。しかし僕だってそのエピソードを開示してリアクションを求めていた。僕の場合、それが私的な友人に対しての開示というだけで、配信で話していたらそれこそ公に対して公開していたことになる。裸婦像との比較について考えようとしたけど、それ以前に僕自身が彼と対比させる必要があると思われた。
僕は配信者である。僕の中の一部を世の中へ開示することで、僕は知名度や金銭を受け取っている。嫌儲の視点で考えれば露出狂のおっさんの方が貞淑だろう。わいせつ物であるかどうかが僕らを隔てている。何がわいせつであるかはこの世の価値観が決めている。時代や地域によってそれは異なる。
陰茎を開示した彼のことを僕はそれからあまり思い出さなくなった。彼が地域の不審者情報に出ていないかしばらくチェックしていたけど、彼の陰茎の輪郭は徐々にぼやけて分からなくなっていったし、やや腹が出ていたこと以外はもう思い出せなかった。
駅前ではなかったけど、裸の少女の像が近所の川沿いの公園にあった。生命の力を表現していると解説されていたが、僕はその身体を直視することができず、本当に生命の力を表現しているのかは全く分からなかった。後から調べたことだが、裸婦像というのは戦後の日本においてとにかく色々な場所に作られていったらしい。戦後の自由で民主的なイメージを巡って様々な思惑があったのだというが、どの銅像も僕にとっては裸のロリに他ならなかった。