「一年に一度しか私が出てこられないなんて、こんなの、おかしいですっ!」
耳をツンと刺すような特徴的な甲高い声で、剣持刀子は剣持刀也の部屋に飛び込んできた。
「とりあえず、次からは扉から来るほうがいいと思うけど」
剣持刀也は長時間のゲーム配信を終えたばかりのパソコンに向かって、眉間にしわを寄せて言い放つ。
機械に弱いながらもなんとか調節した配信環境は、防音のために壁に吸音材を貼り付け、ボタンを押すだけで効果音が出たりする機材を増やしたり、多くの配線を足元の見えない位置でワイヤーネットと結束バンドを使い整頓した、いかにも配信者らしい部屋である。相変わらずもう一つ椅子を置けばオフコラボも可能な広い机に、不釣り合いにも見える学校のテキストと定番の文房具が並んでいることを除けば、の話だが。
最近の機材投資として、デスクトップパソコンのモニターを4つに増やしている。メインのほかは配信用ソフトを動かしたり、コメントを読んだり資料を参照したりするのに使う。お金とスペースに余裕があればいくらでも増やしてしまいたくなるものの、画面分割の機能を駆使すれば案外なんとかなるものだ。情報量が必要なストラテジーゲームでは何窓もしているし、普段配信を追う時もそれぞれのモニターを4つに分割したりできる。
そのモニターの中でも正面の一番大きくて性能のいいメインモニターから、ポップな貞子さながら、上半身を乗り出してこちら側に飛び出してきているのが剣持刀子だ。
毎年四月一日のエイプリルフールにだけ各種アカウントが乗っ取られて、剣持刀子という別人格が配信を行う。もとは同期の冗談で女体化のコラ画像が作られ、二次創作としてファンに広まり、コラボした有名イラストレーターによってさらに可愛らしく見た目がアップデートされた概念である。とはいえ毎年のことだ。剣持刀也は日付が変わるタイミングを見計らって介入し、いつだって阻止してきた。
しかし、何回もやり取りを重ねるうちに刀子は電子の世界の中で勝手に意志を持って動き出すようになってしまった。ファンフィクションの影響で原作に「逆輸入」が起こるように、二次的な存在に過ぎなかった剣持刀子は剣持刀也の世界に当たり前のように存在するようになった。最近は家に帰ってきたら父と一緒に夕飯を作っていたり、明け方ごろに窓を叩いて侵入しようとしたり、押し入れの奥から出てきたりしている。まったくもってふざけた奴だ。
「ねーえー。ちょっとずつでいいので、私が配信する日を増やしてくれません? 年に一回は流石に少ないじゃないですかあ」
「やだよ。そんなに配信したいなら剣持チャンネルを乗っ取るんじゃなくてさ、自分のチャンネルでやれば?」
「いや、何を言ってるんですか。私はにじさんじに所属してないんですよ。公式サイトのライバー一覧にも載ってないでしょ。勝手ににじさんじとして活動したら訴えられちゃうじゃないですかあ!」
「なんでにじさんじに加入してると思ってるんだ。個人勢としてやればいいじゃん」
「にじさんじライバーの、二期生の、剣持刀也さん……を模・し・て作られた私が『個人勢』名乗るのは、なんていうか、その……燃えると思うんですけど!」
誰かの二次創作として誕生したバーチャルの存在が、個人で活動するにしてもリスクが高いことは長い経験から分かっている。
「勝手に燃えてろよ。知らないからな。お前はただの二次創作キャラクターなんだよ。僕には無関係だよ」
最近は毎度のようにこういった問答をしている。刀子は口をとがらせて、もぞもぞと這うような動きをしながら身を乗り出す。あいにくモニターが大きいので、刀子だったらこのままよじのぼって枠をくぐり、こっち側へやってきそうだ。いつもは茶の間のテレビとかそのへんの壁から出てきているというが、刀子と知らなかったら完全にホラーな場面である。
その時、刀子は鉄棒で前回りをするように勢いをつけて腕を伸ばし、モニターの枠に股関節を乗せ、そのまま身体をロケットのように発射して、僕の机の上のノートや資料を滅茶苦茶にしながら僕のほうへ転がってきた。
「うわうわうわ。飲み物とかちゃんとフタしててよかった」
とっさに椅子を引いて刀子と衝突するのを免れた刀也は、床に転がっている刀子を無視して机を片付ける。
「このモニター前のやつより高画質じゃないですか。肌がいつもより盛れてる気がします!」
腕やすねを触り、両手でほっぺをむにゅっとつかんだ刀子が目を輝かせて言う。
「は? あのさ、今日の配信見て分かってるだろうけどさ、疲れてるからすぐ寝るつもりだったの。……まあ、気が済んだらまた元の世界に戻って」
「あ、はい」
「なんだよ」
「いや、早く帰れとかじゃないんだ……って」
刀子のアプローチはむやみやたらではない。ちょうど剣持刀也が収録や提出物などで忙殺されているタイミングでやってくる。しかし、何度も替わるつもりはないと説得しつづけてきたら、なぜか彼女のことが哀れに思えてきた。
彼女の元いた世界では、剣持刀子は高校二年生の剣道部。等身大の学生生活を謳歌している。何の変哲もない、ふつうにまじめでちょっと天然でミーハーな十六歳だ。
だが、見よう見まねで配信をするうちに、あるタイミングで彼女は知ってしまったのだろう。自分が誰かを模倣して作られた存在であることに。オンリーワンだったはずの人生が、誰かにとっての副次的なものでしかないと知ってしまった。それで刀子は毎年エイプリルフールの日に僕の世界へ介入しつづける。
僕はいつだって僕だけど、刀子はそうじゃない。自身が創作された存在だということに気付いてしまったのだ。
「早く帰ったって、自分のこととか僕のこととかで悩んじゃうから何回も来るんだろ。僕はもう部屋着だし、このまま昼前まで布団で仮眠とるからさ、お父さんもお母さんも今日はいなかったはずだし、静かにしてくれれば好きにやっていいよ」
「え! アカウント乗っ取ってもいいんですか!?」
「そこは自己責任で。刀子のギャグセン楽しみにしてるわ。じゃあ」
「……やったあ!」
剣持刀也はそのまま、しばらく眠り続けた。
こんなに長時間かかるゲームだとは思わなかったのだ。でも、前後編に分けるには中途半端だったし、これからしばらく同じくらいのボリュームのゲーム配信はできない予定だ。だから、とりあえず「きりのいいところ」を探して、記憶力が必要なパズル要素も集中してクリアして、英語のエンディングは邦訳を望む声も多かったけど無視してとりあえずのクリアだ。
絵本のような見た目から想像していたよりも世界観はシビアで、でも人のあたたかさが感じられた。△△さんのファンアート、そういえば保存していてよかったな。普段はありがたく見ているだけだったけど、今回のゲームの雰囲気はいつもの剣持刀也の立ち絵素材よりもあの方の絵柄のほうがサムネイルとしてはぴったりだ。権利も問題ない。イラストに合わせた背景が良い感じだから、それを透過するか迷うくらいだ。
布団をかぶり、重力に身体を預けて、多少部屋がうるさくたって安眠できる心理学の方法論を使って、剣持刀也は本当によく眠った。自己催眠のうまさには自信がある。
目を覚ました剣持刀也は、刀子のいたずらの後始末をどうしようかと軽く思考しながら、重いまぶたをゆっくりと開けた。あれ。おかしい。刀子以外にもう一人いるじゃないか。なんだ夢か。あれ。もう一人どころじゃないぞ。え。なんであいつ僕の制服着て、あれ、え、全部……僕じゃないか? いや僕は僕だよ。剣持刀也だろうがよ。
剣持刀也の部屋の中には、剣持刀子と、剣持刀也の制服を着た剣持刀也、黒いスーツを着た不愛想な剣持刀也、表情が固く前髪が小刻みに揺れている剣持刀也が仲良くUNOをしていた。
「全然緑が来ないー! なんで!」
緑のカードが出るまで山札から手札を引いて増やし続けているのは刀子。
「まあパーティーゲーム、大人から子供まで楽しめるゲームですから、頭を使って攻略するだけじゃないぞと。運の要素で逆転勝利の可能性も、まさかの最下位へ真っ逆さまの展開もありえるわけで。そこがこのゲームの素晴らしい所ですよね。さあ刀子は緑を引くことが、でき、る……できないー! おおっと、だがこのカードなら出せるぞ! さあどう来る!」
「…………!」
「もー! マジェ持さんが順番逆にするやつ使ったから、また刀子の番じゃん……! うふふ、あはは」
「なんて運がないんだ! ひどすぎる! あはは! でも刀子は大量のカードを一気に出して逆転を狙うぞ! しかし、あまりにも他のプレイヤーの手札は、少ない!」
今マジェ持って言ったか。は? マジェ持は、クラブ=マジェスティの歌動画で使われている衣装を着てる、僕……のファンからの愛称なんだけど。マジェ持イコール僕ではないんだよな。だって僕は僕なんだから。寝る前に刀子と話したことを覚えてるし、ゲーム配信のサムネイルを後で誰のファンアートにするか決めてフォルダに入れてあるから、それを確認すれば僕が僕自身であることは証明できる。
否応なしに目がぱっちりと覚めてしまった剣持刀也に、よくしゃべる剣持刀也が視線を向けた。
「あ、剣持刀也が起きましたよ。刀子が説明した方がいいと思うんですけど。できそうですか?」
「起きたんですね。おはようございます!」
「おい刀子? 誰がここまでやれって言った」
やたらと場を回す剣持刀也、「マジェ持」、前髪が小刻みに揺れている剣持刀也。身に覚えがないでもない……つまり全部僕なのだが、つまりはどういう現象が起きているんだ。
「私だけじゃなくて、剣持刀也に対して二次的に生じた存在、概念などなど……がこの大きなモニターからたくさん出てきたんですよ。ほら、このパソコン、いいの買ったって配信で言ってたじゃないですか。だから、これまでの活動の中から、出てこられそうなみんなを呼んで、出て来られる方法を教えたわけです」
「全部僕の偽者ってことか?」
「いや、全員本物ですよ。私のことを刀子の偽者って言わないのと同じ。マジェ持さんはマジェ持さんだし、司会の剣持刀也は司会の剣持刀也だし、二〇一八年三月の剣持刀也さんは二〇一八年三月の剣持刀也さんですよ」
ここのUNOをやってるやつらはみんな僕の派生した概念らしい。マジェ持だけすっごいかっこいい。UNOやってんのに堂々としてるし。UNOがカジノに見えるもん。やっぱあの衣装いいよな。顔もキリっとしててかっこいい。
「そういうのもできるんだ。さすがバーチャルだな……。つうか、あの前髪揺れてるやつ、たぶん三月どころじゃないと思う。デビューして半年くらいだったかな、ずっとアプリの顔周りがアップデートされなくて、強風吹いてるみたいに前髪が振動してた気がするんだけど」
「じゃあ初期もちさんですね!」
「…………。なんでこんな気味の悪いことするんだよ。バーチャルだからさ、何が起きてもおかしくないんだけど」
「えー。みんなずっとこの世界に来られなかったんですよお。せっかくだし、いいじゃないですかあ」
「でもこれだけならまあいいよ。家族とか同僚にこの状況は見られたくないからさ」
「…………」
かっこよくUNOをしていたマジェ持が、意味ありげな目をして僕の方を見てくる。ドキドキ。
「この部屋だけじゃおさまらないので、リビングにも行ってもらってます。そうそう、ご家族は予定があって今日はいらっしゃらないですよ」
「は!? バカじゃねえのか!」
「咎人コラボの時の剣持刀也はもう伏見スタジオへ向かってると思いますよ」
「咎人の僕バカすぎる! 止めにいったほういいよな!?」
「トリガーの剣持刀也、ハピトリの剣持刀也も一緒に行動してるので心配しないでください」
「ユニットが一人増えるごとに分裂してんの!?」
「だって全然違うじゃないですかあ。自分でも分かってるでしょ!」
ハピトリのときはバランスよく盛り上げ役となり、トリガーでは全員が事務所の先輩として進んでボケにいく。咎人ではわりと……独自性の高いコンテンツになるように、企画などもガクくんにあえて任せている節はある。
「もちろん、ろふまおの剣持刀也、虚空イベントの剣持刀也、もちもちコラボの剣持刀也……などもいますよ。凸待ちに行った剣持刀也とかは枠ごとにいるし、何なら毎配信違う概念として出せちゃうんですけど。二次創作もそれぞれ概念があるし。そう考えるとファンの数だけいるし。えっと、でもやりすぎてパソコン壊れたら私が今後ここに来られなくなるし、コラボとかイベントとかの剣持刀也を中心に呼んでます!」
「コラボ相手全員に等しく迷惑をかけちゃうだろ! ていうか僕が寝てる隙にそんなに召喚したの!?」
「パソコン使っていいって言われたので。あ、そうだ。当初はここまで増やすつもりはなかったんですけど、最初の方に来たある剣持刀也がこんくらい増やしたいねって言ってきたんですよ!」
「だ、誰? どの僕?」
「7thチャンネルまで持ってるパラレルワールドの剣持刀也です」
「あいつ!」
いつかのイベントで偶然パラレルワールドの僕と接触したことがあった。そういう演出があったのだ。その時の僕がいわばラスボスのような感じらしい。最悪だ。だってそいつだって僕なんだから。
「まだリビングにいるので、話をして来たらどうです?」
「うわー。ほんとにバーチャルって迷惑だな」
「……僕はこの世界に来られて本当に幸せですよ」
初期もちの素朴な感想が無性にイライラさせてくる。はあーっ。「あの、媚びたわけじゃなくて……」なんて付け加える初期もちを無視し、大きくため息をついて、廊下へ。
僕の家はいたって普通の一軒家である。神奈川の一般家庭と比較したらきっと広いかもしれないけど、父が物書きの仕事をしているから自宅兼職場みたいなもので、三人兄弟だし、それを考えたらちょうどいい大きさのはずだ。
しかし、廊下はまるで海外の学園ドラマのロッカーが並ぶやかましい廊下のように、僕によって埋め尽くされていた。なんで家で「往来」があるんだよ。どれだけいるんだよ、僕。
ろふまおの衣装の僕が無言で変な動きを試してボケている。バレないレベルでいつもはカットされるボケをやっている。放送されていない部分も概念として切り出され、ここに召喚されているらしい。
たぶんこの中には初期に失言をしている剣持刀也もいるはずだ。当時は大丈夫でも今は本当にマズい発言だってある。そいつを放っておきたくないから、早く現状の把握をしたい。
言い合いをしているのかと思ったら、ラップをしている剣持刀也が複数名集まってサイファーのようなものを行っていた。なんとまあ、ボイパをする剣持刀也さえいる。夢のコラボじゃん。すげー。ラップをするのはしゃぷらじの企画であるバーチャルラップバトルの剣持刀也だろうか。イベントに向けて即興の練習をする僕かもしれない。
あっちでは聖シャープネス学院高校の監督の剣持刀也と虚空学院高校の監督の剣持刀也がぶつぶつと戦術を話し込んでいる。かなり集中しているようで僕には関心を向けない。
その近くにはバットを持っていかにも物騒な剣持刀也もいた。なるほど、歌動画だ。どうか実家の窓は割らないでほしい。もし僕自身だったらものを故意で割ることはないから心配いらないけど、ファンの二次創作のなかで解釈された剣持刀也だとしたら凶暴になっている可能性もある。あいつがいるなら他にも武器などを持っている剣持刀也がいてもおかしくないだろう。こわすぎる。まあこれがバーチャルだから仕方ない。
初期の夏服の剣持刀也が頭に包帯を巻いた剣持刀也と話し込んでいる。初期同士、何か思う所があるのだろうか。
試しにその二人の近くで立ちっぱなしで暇そうな剣持刀也に話しかけてみる。
「おい。お前もあのモニターから出てきたのか」
「ああ、そうですよ」
表情が柔らかく動くものの、聞かれたこと以上は全く話さない。
「その、誰? じゃないか。……どんな? 剣持刀也なんです?」
「ニコ生で大人数のライブイベントをやる時の直前生放送のインタビューを受けている時の剣持刀也です」
「局所的だな。ここにいる他のやつら見て何か思わないの?」
「おっ。結構突っ込んだこと聞いてくる剣持刀也ですね。直前生放送はアーカイブ見返しにくいし基本的に出演者も多いのであんまり目立たないようにしてるじゃないですか。あなたも剣持刀也なら分かってるでしょう」
「コンパクトに回答をまとめるところも……なるほど。元いた世界線には戻れそうなの?」
「今日はお祭りみたいなものだと思うので、平場ではいつもどおりやらせてもらいます」
「僕の頻出語彙で突き刺されてるような気持ちだ。話してくれてありがとう」
「それではー!」
去り際さえも直前生放送の剣持刀也だ。笑顔で手を振るように身体を揺らす。そうだろうとは思っていたけど。
リビングへの喧騒の中でも、歌動画で仕立ててもらった特別な衣装を着ている剣持刀也はどれも華やかで見ごたえがあった。確かに剣持刀也はあの服に腕を通したはずなのに、自分自身はあの布地に触れてさえいないのだから、沢山の装飾を身にまとう彼らが羨ましくも見えた。
リビングではいつもの僕と同じ、制服姿の剣持刀也が何人もいた。ざっと十は超えているだろう。
「おい! 7thチャンネルまで持ってる剣持刀也いるか?」
「ああ、僕だけど?」
一番近くにいた剣持刀也が不敵な笑みを浮かべて答える。
「お前か! 刀子に変なこと吹き込んで! いくらバーチャルだからってなあ……」
「あー。また騙された」
違う方向から剣持刀也が気だるげに言う。リビングのローテーブルの近くで長座布団に座って麦茶を飲んでいる。
「そいつは7thチャンネルまで持ってる別世界線の剣持刀也のふりをしたらバレないだろうと思ってるただの剣持刀也ですよ。本物はあいつ。ソファにいるやつ」
「あ? じゃあ騙そうとしたお前は?」
「さあね。お前と僕、見た目変わらないし、大して違いはないんじゃないですか。違いはあるんでしょうけど、どんぐりの背比べ、大同小異ですね」
不敵な笑みを浮かべる剣持刀也が飄々とした調子で言い放つ。人には自己同一性というのがあるだろうが。みんな剣持刀也ならこの概念だって分かるだろ。
「はあ!? お、お前らはどういう剣持刀也なんだよ」
「あ、新しく来た剣持刀也さん、どうも。あの時は電子ドラッグの件、大変楽しませていただきました。まあそれ考えたのも剣持刀也なんですけど」
一人だけソファに座ってくつろいでいた剣持刀也がそう言った。
「あー。やっと名乗り出た。こいつ、ずっと面白がってさあ、こっちの世界とは人口も業界の規模もとにかく何もかもが違うんだからさ。どうせ僕のことだからこういうふざけ方するとは思ってたけど」
テレビでぽこピーの動画を見ていた剣持刀也がやれやれといった調子で話す。
「は? じゃあ7thチャンネルのあいつ以外の剣持刀也は何の剣持刀也なの?」
僕がずっと気になっていたことを話すと、キッチンの方から剣持刀也が出てきた。
「ここに集まってきた剣持刀也は、『この場において自分が何者なのかあんまり分かっていない剣持刀也』ですよ」
キッチンからおかずとごはんを用意し寝起きの僕に食べるよう促す剣持刀也はやっぱり剣持刀也にしか見えない。僕が最近ハマってて自分でもよく作るメニューだ。配信でも友達にも話したことがない。家族も食べる時間が違う時しかこれを作らないので、知るはずがない。
「サムネイルに使おうとしてるの、△△さんのファンアートでしょう。ゲームの雰囲気に合う、普段はあまり選ばない系統の、ゆったりした絵柄の。背景を透過するか悩んだまま、フォルダに入ってますよね。僕もあのイラスト好きです」
どうして寝る直前に僕がふと考えたことまで知っているんだ。唖然としていると、料理を用意した剣持刀也が説明した。
どうやらここに来た剣持刀也はみな最初はサムネイルの画像の件で自分が本物である証明をしようとして口論になったらしい。一番先にここにいたのは7thチャンネルまで持ってる別世界線の剣持刀也だったから、からかってやろうとして話に乗っかって場は混乱し、最初の数人の剣持刀也の推理の時点でそいつだけ異質であることが見破られたという。
でも、なんらかの概念として本物である僕から切り離されているからこそ、刀子のようにこの世界へ遊びに来られるはずなのだ。つまりみんな現行の本物とは違う何かがある。なのにどうしてこんなに人数が集まってしまうのか。
その疑問に対しても、料理をしていた剣持刀也は次のように説明した。例えば、直近の長時間配信でつい「俺」が出てしまうことがあった。剣持刀也は「僕」なので、すぐにおおげさなくらい訂正するのが常だ。でも、コメントで指摘されていても気付かないことだってある。このように、自覚できないいつもと違う様子がある、というだけで細分化されてしまっているのだろう、という仮説だ。
「じゃあ簡単ですね。だってモニターから出てこようとしてた刀子と話をしたのは僕なんだから、僕以外はさっさと元の世界に帰ればいいんじゃ……」
違う。それでは説明にならない。サムネイルのファンアートの件を知っている剣持刀也がいるように、きっとこの中の何人かはモニターから出てこようとした刀子と話した記憶があるのだ。
「えっと、じゃあ、布団から起き上がった記憶は僕だけが持ってます……よね?」
「それ。みんなそういうんだよ。でも、ほら、そろそろ来るぞ」
気だるげな剣持刀也はコップにもう一杯の麦茶を注いで、小分けのヨーグルトを食べ始める。リビングのドアが開いた。
「おい! ここに7thチャンネルまで持ってる異世界からの剣持刀也がいるらしいから、名乗り上げろよ!」
なんと、もう一人の剣持刀也が入ってきた。ドアのすぐ近くの剣持刀也が「僕だけど?」と名乗り、他の剣持刀也が訂正し、本物の7thチャンネルまで持ってる剣持刀也が話し始める。そして、料理をする剣持刀也が僕にしたのと同じような説明をして、その剣持刀也が唖然とする。
「……なんで。まぎれもなく僕は僕なんだけど。僕が本物じゃなくて、あいつが本物の剣持刀也? そんなわけないだろ。まさか布団から無限沸きしてるの? ありえねえ。バーチャルってほんと、まったく……」
「おい」
小分けのヨーグルトをこちらによこしながら、来たばかりの剣持刀也が僕に話しかける。
「なんでお前、ここがバーチャルって思ってんの」
「…………え」
料理の片づけをしていた剣持刀也が換気扇を止めた。空気が張りつめ、テレビで見ていた動画も一時停止される。ソファにもたれる剣持刀也だけが動じない。それ以外、十を超える剣持刀也が静まり返って、今の剣持刀也の発言を繰り返すよう空気で求める。
「……え? だから、ここ、実家じゃん。家。変なのたくさんいるし、よりによってお父さんもお母さんもいない日だし。色々意味わかんないし。でもさ、ここって俺が生きてる世界だよね。まあ俺の見てる夢でしょ。夢だとしたら夢の登場人物にマジレスするのめっちゃ恥ずかしいけどさ。俺以外みんな剣持刀也すぎるんだよ。家で寝る時制服じゃなくてさ、このいつもの部屋着じゃん。そのままここに来てるの、俺とあんただけでしょう。それにさあ、現実は『俺』なの。バーチャルの剣持刀也は『僕』かもしれないけどさ。まずそこからじゃね? っていう」
頭の中がパニックで、お腹の中が全部出てきそうなくらい気持ちが悪い。なのに、吐き気ではなく脂汗が止まらなくて、何らかの反射で目に涙が浮かんでくる。
いや、でも。だとしても。
「じゃ、じゃあお前、何歳なの」
「十六だけど?」
なるほど。
「今は二〇二三年。ほら。お前もバーチャルの時間軸に閉じ込められてるタイプの剣持刀也だろ」
玄関の扉の近くでからかっていた剣持刀也がこちらに向かってきた。
「はい。年齢の話ね。今までも話題になってそのたび空気悪くて耐えられたもんじゃなかったからこっちから今までの議論の要旨を説明しますよ。その一、配信者として十六歳であり続け、現実でも高校二年生を繰り返している剣持刀也。その二、配信者としては十六歳、二〇一九年に匂わせをしたことで二〇一八年に高校二年生スタートで配信外では年を重ねている剣持刀也。その三、配信者としては十六歳、配信外でも十六歳として振舞うもののそれ以外の人生がある剣持刀也。一番新しくこの部屋に入った君は?」
「……その一、なのかも」
「で、その一件前に来たばかりの君は」
その三だ。確かに二〇一九年に一瞬だけそういう振る舞いをしたことがあるし、非公開にもしていないし、最近知った人はその二のことすら知らないだろう。ここ最近はずっとその三である。なら、より現実に近いのはその三で、その二は少なくとも過去の存在なのではないか? その一が実現しているとしたら、この世の中がバーチャルすぎる。
今まで僕は、刀子がこの世界に現われたのも大量の剣持刀也が出現したことも「バーチャルだから」と思っていた。でも、新しく来たばかりの剣持刀也の生きる世界はバーチャルという魔法が通用しないただの現実で、バーチャルにまるめ込まれていたのは僕の方だった。でも、僕はこの世界に魔法があったっていいと思っている。こんな状況だって受け入れられる。
こうして、まるで小説のようにモノローグが多い剣持刀也だとしても、僕は剣持刀也だ。
「僕はね、その一だろうが二だろうが三だろうが、全部揃っての剣持刀也だと思っているんですよ」
今まで何も言わずに漫画を読んでいた剣持刀也が、天井を見ながら言う。
「そういう振る舞いをする時もあった。そういう世界観で解釈される時も、そういう話し方を心がけることも、そういうスキルを高める時も、そういう受け取られかたをする時もあったんですよ。この企画の時は無理してるな、とか、今の編集不自然だったな、とか、情報の受け取り手は鋭敏に察知します。多かれ少なかれ、今までの良さが打ち消されているような、そういう瞬間だってあった。誰のせいとか追求する以前に、それが剣持刀也だった。ここにいたりいなかったりする、虹の色の境界線のように連続的な……スペクトラムとしての僕らが、剣持刀也なので。今日のことはまあ、いつもの刀子のいたずらとして許してやりましょう。本気で刀子に腹を立てることなんて……剣持刀也が、するはずないでしょ」
リビングのドアが開いて、剣持刀也が一人、もう一人。増えていく。ぽこピーの動画を僕も一緒に見ることにした。ときには口論になったり、同じようなまとめを誰かがしたり。それを繰り返して、ちょうど刀子がモニターから出てこようとした時間になって、一人ずつ薄い霧のように消えていった。
自分が消えてしまうのではないかと思った。ただ、自分より後から来た剣持刀也が消える瞬間を見ることはなかった。いつのまにかいなくなっていたのだ。
きっと、それぞれが元の世界線、パラレルワールドの深夜に帰っていったのだろう。僕の生きる世界はここだから、移動していないように見えるけど、もしかしたら誰かの視点では僕が消えたように見えたかもしれない。僕の家、もしくは住んでいる街ごと、世界ごと、パラレルワールドが集まるスクランブル交差点のようになっていたのだろう。
奇妙なこともあるものだと思い、特に気にせずいつもの生活へ戻った。知り合いや同僚の何人かには謝罪の連絡を入れる必要があったけど、みんなそういうのには慣れっこだから大丈夫だった。
ある日、次の配信の準備をするために、マシュマロを開く。玉石混交。魚目珠に混ず。
「うわー」
新着のマシュマロがとてつもない長文のいわゆる「レシート」で、配信に映せないレベルのアンチメッセージだ。
「まあ、その時の剣持がこいつに合わなかったんだろうな」
あの時にたくさんいた剣持刀也。あれからあいつらに会うことはない。
すぐ下にスクロールすると、日本で二番目に標高の高い山についての完全な嘘情報があった。クイズのベタ問だ。僕は正しい答えを当然覚えている。その下にはアンチ、その下には普通に嬉しい感想、その下にはその日のそいつの献立。興味あるわけないだろ。……またアンチ。感想。シュールを狙っているのかランダムに単語を組み合わせているのか微妙なライン。その下は……使えそうだ。
そのすぐ下に、少し前の自分が残したのかもしれないメモがあった。自分で自分にマシュマロを送ることもまれにある。いつ書いたのかは思い出せない。「小分けヨーグルト食べ過ぎ」。下らないメッセージだ。スルーしようとして、何か引っかかるものがあり、待機所も立てずに思い出そうと頑張ってみた。確かにヨーグルトがなくなりかけていたからどこかにメモした覚えがある。けど、思い出せない。
そうだ。あいつらがたくさんいた時、妙にみんな4つの小分けになってるヨーグルトを食いまくってたんだ。あれだけの人数が食べて、冷蔵庫にそんなにストックがあったなんて考えられない。やっぱりあれは夢か何かだったんだろう。そうこう考えているうちに配信時間が過ぎてしまったので、慌てて開始ボタンを押す。
待機画面で音楽をリピートで流している間にお手洗いへ行っていると、父とすれ違い、配信がすぐ始まることを伝えるとそのまま見送られた。その後すぐ父が「ヨーグルト買い足してあるよ」と共有のメモに書き加えた。……全部僕が爆食いしたと思われてる。誤解なんです。でも、全部僕がやりました。