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suidosui_txt

suidosuiの小説まとめです (NSFWはここにありません)

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剣持刀也の失踪。ミステリというよりファンタジーめです。

バーチャルYouTuber にじさんじ
剣持刀也 伏見ガク 月ノ美兎 樋口楓 葛葉
◆1
 スマホの通知は百を超えていた。不要なダイレクトメールを差し引いても、三桁だ。多すぎる。読むのは家に着いてからにしよう。中には仕事関連の連絡もあるだろうし、念のため。
 夜にしては空いていてよかった。刀也は電車の椅子に(背中の竹刀入れをどけながら)深く腰掛け、小さくふっと息を吐いた。
 今日はなんだか疲れている。一限目から化学の実験があって、朝から気を張りすぎてしまったからだろうか。練習で部員が全体的にうまくいかず先生に叱られてばかりだったからだろうか。
 しっかり部活がある日の夕方に制服のままいちから事務所での会議に出るとなると、いつもこんな遅い時間に帰ることになる。夕飯は帰ってからだ。あまり一人で買い食いはしないほうなので、とにかく空腹で仕方がない。事務所で飲んだお茶の味が今も乾いた口内に残っている感じがする。ああ、明日はみんなで遊びに行く約束をしてるのに、今は横になって休むことしか考えたくない……。
 心臓の鼓動とよく似たリズムで電車が揺れる。食欲よりも今は眠気だ。ぼんやり視界がかすむ。
 ドア上の映像広告で明日の天気が表示されている。が、よく見えない。それどころか向かいの席に座る乗客の顔すらあいまいに見える。教室で授業を受けるときはよく眼鏡をかけるが、今はそれ以上によく見えない。眼鏡を取り出そうと鞄に手を突っ込むけれど、重いまぶたが重力に引かれて落ちていくほうが早かった。

◆2
「なんや、ほんまになんも知らないんか」
 楓は眉にしわをよせた。
「そうなんすよねえ~……。俺もさっきから刀也さんと連絡つかなくて困ってるんす!」
 ここはターミナル駅から徒歩五分ほどの好立地にあるチェーンのお手頃なカフェ。華やかな外見の二人が美兎の目の前で言い合いをしていた。
 通路側の椅子には長身の男、伏見ガクはいつものように明るめの茶髪を狐の耳のようにセットし、ハデな柄シャツを着こなしている。樋口楓は街で遊ぶときよくするように銀髪をストレートに流し、こちらもまた柄物を取り入れたオシャレな私服に身を包む。
 いっぽう美兎は普段通りの黒髪ロングで、お出かけ用のシンプルな青のワンピース。二人と比べると地味かもしれない。この前遊びに行った時に楓ちゃんに選んでもらったワンポイントのネックレスを手ぐせでいじった。
「さっきも言いましたけど、わたくしと楓ちゃんは早く着いたんです。待ってる間、剣持さんはガクさんと一緒に来るのかと思ってました……。昨日の寝る前の連絡に剣持さんから既読がつかないのも、二人が一緒にいるから自分の、剣持さんのスマホを見てないのかなって思って」
「一緒じゃないっすよ~! もし仮に剣持刀也と一緒でも彼はなにかしら連絡よこすはずだぜ……」
「んー……。真面目な剣持さんにしては珍しいですよね。どうしたんでしょう」
 紅茶をひとくち。茶葉の種類は明記されていなかったが、独特の青々とした風味はダージリンを思わせる。美兎は小さくため息をついた。
 剣持刀也が待ち合わせに来ない。もう何十分もここで待っている。前に遊んだ時もこのカフェを待ち合わせ場所にしたから、道に迷うなんてことはないだろう。普段なら遅刻するのは美兎のほうだ。嫌な顔ひとつせずに待っているはずの剣持が、遅れているどころか連絡も取れないなんてどうしたのだろう。充電でも切れたのか。
 自然と緊張の糸が張りつめている。その場の誰もが最悪の事態(事件に巻き込まれた、だとか)を想定してしまうのも無理はないけど、いったん冷静になるよう自分に言い聞かせ、また紅茶をもうひとくち飲む。
「とりあえず、茶でもしばきながら待とうや!」
 楓も美兎と同じ紅茶を飲みながら言った。
「そうっすね、もう四十分も遅刻してるんで、仮にオール剣持刀也のミスならそのぶん払ってもらうってことでチャラにしましょ!」
 ガクが冗談めかしてそう言い、ブラックコーヒーを口に運ぶ。
「……はい! とりあえず、ケーキでも食べましょう!」
 美兎は明るく振舞って言った。

◆3
 テーブルの上には追加注文したミルクレープとチーズケーキとチョコレートケーキが一つずつ並ぶ。まだ剣持は来ない。楓はミルクレープにフォークを突き立てた。ぼろ、と崩れる。フォークの背で皿の上のクレープを潰し、貼りつけて口に運ぶ。クリームも生地も甘いはずなのに、粘土を食べているみたいに味がしない。
 なにか私が剣持刀也に良くないことをしてしまって、それに怒っているから来ないのかもしれない。剣持刀也はわりと育ちのいい坊ちゃんタイプだから、私の暴言がちょっと気に障ったのかな。どうしよう。考えすぎだろうか。
 腕時計の秒針は休むことなく動き続ける。あと一周するまでに、ここへ現れてくれないか。はやる気持ちがミルクレープをぼろぼろにする。
「あー……ガッくん、ほんとはなんか知っとるんちゃうか?」
「……えっ、楓ちゃん、そんな直球な」
「いったん、落ち着いてほしいんだぜ……!」
 うっかり苛立ちが口に出てしまって、指摘された時にはもう遅かった。
「……ごめんなさい、ビビらせちゃって」
「焦る気持ちは分かるんだねえ、大丈夫っすよ、全然」
「ありがとう、ごめんね。あの……その、ガクくんってあれやろ? 狐……のカミサマ……? なんやろ? よう知らんけど……。もしそれでなんか知ってたらって思ったんや……。根拠もなしにごめんね、変な事言って」
 配信で見たことがある。獣耳が生えていて、長髪の、不思議な姿をした伏見ガクの姿を。楓は本当によく知らないのだが、恐らくあれは伏見ガクの神様バージョンの姿で、何か不思議な力が使えたはずではなかっただろうか。
 オカルトじみたことに頼るなんてバカげているかもしれない。でも、彼が人間ではないのは事実だと思う。誰も追及しようとはしないけれど、にじさんじならありえる話だ。だってにじさんじには女神だって悪魔だって本当にいるんだから。
「それは…………」
 ガクの目が泳ぐ。ブラックコーヒーを口に含み、一呼吸おいて再び口を開く。
「はて。……まさかそんなこと、あるわけないっすよ!」
 屈託のない笑みを浮かべて言う。その態度の裏で、反論を許さない静かな強制力が働いているのに気づかない楓ではなかったが、いったん深堀りはやめることにした。
「それより、刀也さんのこと知ってそうな人に連絡とってみるのはどうすか?」
「ガクさんの言う通りです、楓ちゃん。まずはライバーのみなさんに色々聞いてみましょう。打ち合わせとか、いろいろ、長引いちゃったのかもしれませんし。剣持さんはきっと……大丈夫ですよ。ああ見えてしっかりしてる人です。……それでも何も分からなかったら、焦りましょう。今はまだ色んな可能性があるはずです」
 人が焦っているのを見ると自分は冷静になるというのは本当らしい。不安そうだったさっきとは打って変わって冷静な美兎が言った。いや、冷静そうに振舞っているだけかもしれないけど。
「そ、そうやな。わたしは椎名に連絡取ってみるね」
「わたくしは花咲ちゃんに」
「オレは葛葉くんにメッセージ送ってみるっす」
 楓は画面に指を走らせた。彼女なら何か知っているかもしれない。勘が鋭い彼女なら、なにか。

◆4
――椎名唯華
「おつかれぃ! ん、寝てたけどさっき起きたよ! どした? けんもち? んー、おととい連絡とったな。前のコラボと間隔開いてきたし、そろそろ何かやろーって話になって、誘ったらオッケーしてくれたんよ。ううん。それからは特に音沙汰なしやな。疲れてるみたいな声やったし、どっかで寝てるんちゃう? ……うん、ほんとは心配や。こっちでも探してみる! 何かあったら言ってな! じゃ!」
――森中花咲
「委員長どうしたのー? かたなさんがいない? えーどうしたんだろう。かざは分かんない……。最近はよく事務所で会ってるよ、うん。いっしょにまた歌動画を作ろうって話になって、その打ち合わせを事務所でしたりしてたんだよね。土日はお互いお仕事のことで用事があること多いから、打ち合わせは平日、そう、放課後がほとんどかな! うん、昨日は用事なくて、次の打ち合わせのための資料をチャットで送ったくらいかな。返事は……今確認してみるね。あれ? まだない? んー……。というか、そもそもかざの送った資料が電波の関係で送れてなかったみたい! あちゃー、今気づいた! 資料を送った時間? 昨日かざがごはん食べ終わってからだから、九時ちょっと過ぎかなー、夜の。あ、あの! 何か分かったらすぐ教えてね! ……かたなさんの声、早く聞きたいからさ。心配だよ、かざも」
――葛葉
「すまん分からない」

◆6
「リリちゃんと、むぎちゃんと……とりあえず、知ってそうな人には全員当たってみましたけど……」
「……わからんなあ」
 スマホを投げ出し、追加注文した紅茶をすする美兎。お昼も過ぎているし、小さなケーキだけでは流石に空腹を覚えてしまう。頭が鈍くなっているのが自分でもよくわかると思った。
「整理すると! 刀也さんは学校で部活やった帰り、事務所寄って会議、それからいつも使ってる電車に乗って帰った。でも電車に乗ったであろう時間帯に送ったメッセージにはまだ既読がつかないってことっす……」
 どういうことなのだろう。事件や事故に巻き込まれていないといいのだが。美兎は心配で口が乾き、唇を舐めた。
「んー……」
「どうしました?」
 ガクが悩ましげな顔をして腕組をしている。
「葛葉くんの返信が、どうも気になるんす!」
「『わからない』って、言ってましたよね。何か隠してるようにも思えるような、思えないような」
「でもだからどうするん? 疑わしきは何とやら、やろ?」
「そこで考えがあるぜ。本当は乱用するものでもないんだけど、深刻そうな今回ばかりは頼らざるを得ないんだねえ」
 いったい何をするというのか。美兎の声にならない疑問はやわらかく制止の意味を込めたガクの声に封殺された。
「じゃあちょっと、目を閉じてほしいんだな?」
 どういうことですか? と言う間もなく自然とまぶたが重くなる。
「ん!? 目が開かない! ……どうなってんねん! やっぱこの件、ガッくんが絡んでたんか……!?」
 まぶたが開かなくなり、真っ暗な視界のどこかで楓が大きな声を上げている。よく考えたらここは店の中だ。わたくし達は奇異な目で見られているに違いないな、と美兎は思った。
「大丈夫っすよ~。もうここ、サ店じゃないんで。目開けていいっすよ」
 動くよりも先に、妙な寒気を感じた。ここは、外……?
「なんなん……? ここ」
 そこは駅のホームだった。見たこともない、知らない土地の駅。美兎と楓はそこの古びたベンチに腰かけていた。
 日本の郊外によくあるような、地上に線路が伸びていて、簡単な屋根と最低限の設備だけがある駅だ。ホームは一つだけで、線路は一本だ。
 駅名を示す看板はあるが、古くなっていてぼやけており、よく読めない。ひらがな四文字で、○○○○駅と書いてあるような気がする。これは、もしや。美兎はネットの都市伝説を思い浮かべて、ヤバいな、と口の中でつぶやいた。
 遠くの景色は紫がかっていて、他にも建物はありそうな雰囲気だ。線路脇には雑草が生えていて、あまり手入れが行き届いていないようにも思える。改札は無人で、ICカードをタッチする場所すらもなかった。
 空は今にも雨が降り出しそうな曇天だ。ワンピースでは肌寒い。腕をさすると、いつのまにか隣にいた楓が無言で上着を肩にかけてくれた。
「ありがとう、楓ちゃん」
「ええよ。ここどこなんだろね」
 立ち上がり、ホームをぐるりと見渡してみる。
「あれ、見てください。これ……」
 美兎の足元には小さなお守りが落ちていた。
「《必勝》って、これ剣持のやない!?」
「剣持さんも、ここに……?」
「二人ともーっ! こっちっす!」
 伏見ガクの声が無人の改札の向こう側から聞こえた。美兎は小さめのお出かけ用バッグにお守りを入れた。
 ホームから小さな階段を下りると、郊外らしい住宅地が広がっていた。格安で買えるゲームの背景美術のようなローポリゴンの風景だ。どこかで見たことがあるようで、どこにもないような、そんな不確かな街並みだった。駅前ロータリーには狐の耳(髪の毛がそう見えるのではなく、本当に獣耳だ)をぴょこんと動かしながら手を振る、長髪の伏見ガクの姿があった。
「こっちこっち! 分かった気がするぜ!」
「ガクくん!」
「待って!」
 美兎と楓は声をかけたが、ガクは聞こえているのかいないのか、背を向けて住宅街のほうへと足早にタタタと歩いていった。
 やはり伏見ガク、ただものではない。美兎の不安は大きな好奇心にかき消されて、だいぶ小さくなっていた。

◆7
 楓は少し先を歩くガクを見ていた。普段とは違い、長髪で顔には朱で隈取りをしている。服も黒と赤を基調とした和服(というかアジア系?)の豪華な衣装で、下駄を履いているためか、歩くたびにカラン、コロンと音がする。
「美兎ちゃん、結構歩ってる気がするけど、ほんとにこっちなんかな。そもそもこの人ガッくんなん? 服装もなんかすごい豪華だし」
「分かりませんねえ、とにかくついていくしかなさそうですよ」
 美兎はぼうっとあたりを眺めながら、楓と並んで歩いている。どことなく会話に集中していないのもわかる。なぜなら、ここは明らかにさっきまでのカフェではなくどこか郊外の住宅地で、どこか違う世界のような気さえするからだ。
 駅もそうだったのだが、看板や標識は日本語のようでいてどこかおかしい文字で書かれていて、読もうとすると頭が痛くなってくる。外国の文字でもないように思える。文字化けをしたときに表れるごちゃごちゃした漢字のような文字がたまにあって、楓は読もうとするけれど、突然、頭が鐘を打ったような衝撃に襲われてしまうのだった。
 住宅街だからか、人は見かけない。イヌ、ネコ、鳥も同様だ。誰もいない世界に、楓と美兎とガクだけが存在している。静けさに頭が痛くなる。
 気づけば遠くに伏見ガクの姿が見える。いつもは足並みを合わせるためにときどき振り返ってくれるのだが、今の彼は歩くのが一段と速く、いくら速足で歩いても追いつかない。
 そのまま数時間は歩きつづけただろう。不思議と足の痛みは感じないが、精神的な疲労は確実に蓄積されていた。
 しだいに街並みは様変わりしていた。電柱はなくなり(地下化されたのだろうか)石畳の敷かれた広い歩道には十九世紀のもののようなランプが並ぶ。「ヨーロッパみたい」と美兎が感嘆して言う。しかし、人は誰ひとりとしていない。
 建物も背の高いヨーロッパのアパートメントのようなものが多くなり、たまに一階がお店屋さんのようになっているものがあった。けど相変わらず文字は読めなかった。文字を思うように読めない苛立ちに、何度も楓は舌打ちをしそうになった。その度に美兎がこちらを見てくるので、まだしないよ、と楓が言って二人で笑うのだった。
 空はどんよりと曇っている。二人の足音と、声と、衣擦れ以外、何も聞こえない。二人が黙ると静けさがやけに際立ち、耳鳴りがするような気がした。ここがどこなのか、本当についていくだけでいいのか、どこへ向かえば剣持刀也を見つけられるのかも分からない。沈黙は不安を増幅させる。
「気が滅入りそうになってきたわ」
「大丈夫ですか? わたくしもそろそろ、しんどいですねえ」
 そのやりとりを聞いてか、先を歩いていたガクがUターンして戻ってきた。こちらを向いて首をかしげるガクの長髪がサラリと揺れて、装飾品のぶつかり合う軽い音がした。
 楓は一瞬、彼の纏う空気から鉄の臭いを感じたが、お香のような強い香りに掻き消されて分からなくなってしまった。
「具合悪くなったら遠慮せず言ってほしいんだねえ。初めての人は魔界酔いしやすいと思うし」
「今なんて言いました?」
 聞き間違いでなければ、今、異界と言ったはずだ。
「ハッ……! 説明なしに連れてきてしまって申し訳ない! 現在ここは魔界444エリア、現実世界とは別に存在する異界の一つなんだな」
「?」
「刀也さんが現実世界からいなくなったって確信したあの時、真っ先にどこかしらの異界へ引き寄せられている可能性を考えるべきだったんだぜ……。俺と一緒にいる時間が刀也さんは特に長いから、いつかはこうなると思っていたんだけれども!」
 そう言ってガクは頭をメトロノームみたいに左右に振った。長髪と装飾品がシャラシャラと揺れる。
 剣持刀也が異界に引き寄せられている? 楓は開いた口がふさがらなかった。
「ここ、魔界なんですねえ。駅とか読めない文字とか、ネットでみた都市伝説に状況が似ているからそういう類のものかと思っていたんですが、本当にそうとは……」
 美兎ちゃん適応力高いな、と楓は思った。
 楓はこの状況が未だによく分からないし、信じろと言われても信じられない。この期においても、VRのなんかかな、とか思ってしまう。が、同僚に悪魔や吸血鬼を有するにじさんじに所属する身として、この空間が偽物である可能性のほうが低いのは明らかだった。しかしそれでも、理解はできても実感はできないのが実際だ。
「最近はこういう風に、魔界との境界があいまいになってきているんだねえ……」
「境界があいまいに、ですか。それはなんでなのか分かったりします?」
「俺の周りでそうってだけだから断言はしづらいんだけれども! 次元の境界を越える《にじさんじ》が……」
 言いかけて、ガクは息をひそめた。
「そんなことは後で説明するっす! ヤバいことになる可能性が見えてきた! とにかく急ごうぜ!」
「!? はい!」
 何が何やら分からないまま、楓は二人の後を追った。

◆5
「あっれー、どうしたんスか。もちさん、こんなとこで」
 数時間ほど前、某所。玄関の暗がりの中でランプを片手に話しかける声が響く。返事は少し間が開いた。
「……あれ、葛葉だ。……はは、やけに大がかりな夢を見てるな、僕」
「夢ってなんスか、ハハ、大丈夫かい」
「大丈夫じゃないみたい……。ああ、眠いな。夢なのに」
「あれー、マジでどうしたんスか、今日休み?」
「僕ね、今ね、すごく壮大な明晰夢を見てるんだ。気が付いたら電車が知らない駅に停車しててね。そこから、ものすっごい距離を歩いて来たんだよ。途中通った街は、至る所読めない文字だらけで、気分が悪くなったよ。洋風の街並みも見た。なんだか懐かしい気持ちに誘われて、一番大きなお屋敷を目指して歩いてたら、ここにたどり着いて。門がひとりでに開いたから、夢だし、入っていいのかなと思ってさ……まさか葛葉に会えるとは。ここが家なの? はは、どこかのファンアートで見たことあるようなお屋敷だ。そのまんまじゃんか。ふふ」
 うつろな目をした刀也が力なく笑う。いいから上がってくれ、と葛葉が屋敷の中に招き入れる。足取りはおぼつかない。葛葉は刀也の肩に腕を回し、支えた。
「その通り、ここは俺の実家みたいなもんだよ、魔界の。今は家族で人間界に移って住んでんだけど、ここは本家みたいな感じできれいに残しておいてんの。ほら、あそこに掛かってる肖像画、俺の父さん。使用人とかは万が一のために何人か残してるんだけど、そいつらから俺の知り合いが門の前まで来てるぞって連絡されて、なんだ? って思って、俺の権限で開けさせたんだよ」
「そうなんだ。はぇ~……。すごいな、夢の中の葛葉と話ができるなん……て……」
 刀也のまぶたは今にもくっつきそうだ。
「あー、俺の話聞いてない……。まあ今のはスキップしていいとこだったな」
「んー……。すみません……」
「もちさん、かなり大丈夫じゃないみたいっすね。さては寝てないんだな?」
「そうだね……ずっと歩きつづけてたから……。だいぶ寝てないかもしれない。あれ、夢の中だから寝たことになってるのかな? ん?」
 だめそうだな、と葛葉は八重歯を見せて苦笑いした。
 こういう時は寝るのが一番だ。葛葉もゲームにハマったときは二十四時間(以上)寝ないでプレイし続けることもザラである。が、クリアしたその次の瞬間、IQは急降下するものだ。ただただ睡眠を求めるマシンと化し、ノータイムで布団の中へ滑り込むことだってある。
 部屋へ向かう途中、葛葉はキッチンへ立ち寄り、使用人に限界まで甘くしたホットミルクを作って持ってくるよう伝えた。
「歩けるかー? あとちょっとで布団だからなー?」
「いいのかな、借りちゃって。悪いよ」
「気にすんなよ、いつも世話になってるし、好きでやってるだけだから。前に俺が使ってたベッドだけど、ここを離れた後もいちおう常に新品同様に整えさせてる。気になるようだったら他の部屋の使っていいけど」
「ありがと……助かるよ」
 刀也は誘導されるままにベッドに入り込み、上半身だけを起こした格好になった。首を上に向けてみる。当然のように仰々しい天蓋がついている。全ての寝具が闇より深い黒の色で、刀也の白い肌は深く沈み吸い込まれていくようだ。制服のブレザーを脱ぎ、ハンガーを持った葛葉に手渡し、ワイシャツの一番上のボタンを開ける。
 いつのまにか部屋の前に運ばれてきたホットミルクをそばに座る葛葉から受け取り、口に含む。練乳のような甘さに舌が驚き、軽くむせて口端から零れる。雫を親指で拭う。唇は乾いて割れていた。
「さっきから俺のスマホに着信あってさ、探してるみたいだぜ? もちさんのこと、みんなが」
 ハンカチを渡しながら葛葉が言う。
「え、ごめんなさい、そうだった。僕戻らないと。この夢から醒めないと! そういえば、みんなと遊ぶ約束してたんだった。家で見たいアーカイブたまってるんだよな。予習そういや終わってないし、実験のレポートも早めに書き上げる必要があるよなあ。次の配信で使う素材もあと少し集めたいし、事務所での会議のアイディアもう一つくらい考えたいよな。歌動画の仮音源も提出しないと……」
 あとあれと、それと……と指を折ってタスクを数える刀也。本当に夢だと思っている。葛葉のことは夢の中の登場人物としか認知していない。
「大丈夫か? ま、ここで好きなだけゆっくり過ごせばいいんじゃね? 魔界だから誰にも邪魔されないし、バレないし。暇になったらゲームでいくらでも対戦相手になってやるよ」
 そう言って葛葉は自分で食べる用の駄菓子とスマホの充電器を取りに部屋を出ようとした。その時、後ろでか細い独り言が聞こえた。
「……はは、あれ、どうやってみんなに返信しよう。僕いま、何も、思いつかない。みんなって、えっと、あれ、歌動画を作るのは、誰と? コラボの予定は……あったっけ。オフで何か誰かとやることあった気がするけど、場所も相手も、忘れちゃっ、た……」
 刀也はスマホを開いたまま、空を見つめて動かなくなってしまっている。眉は八の字、口は小さく開いていた。
「あーこりゃダメだな、もちさん。あんた疲れてるよ」
 振り向き、しゃがんで刀也の目を見て言う。刀也は眠そうな目をして首をかしげる。
「休んじゃおうぜ、全部さ、ブッチすんの。返信も学校も配信も仕事も、遊びだって今は禁止」
「ズル休みするってこと? 分からなくなった予定を?」
 そう言ってホットミルクを飲み干し、ありがと、と言ってカップを葛葉に預ける。
「そう。俺はもちさんを閉じ込めて、外の世界から守ってやるんだよ。たとえどんなに楽しい予定だとしても、やらせない。俺と二人でいるほうが何倍もいいって」
「確かに眠くて疲れてるけど、大丈夫だよ。……みんなも心配してるみたいだし」
「今のもちさんには時間を気にせず休める環境のほうが遊びより大事だろ。みんなには俺が上手く誤魔化して返信しておくから。俺に任せな」
「ふぁあ……ごめんなさい、あくびが。じゃあそうしていただけると、ふぁあ、助かるよ……」
 それほど時間が経たないうちに、刀也は横になり、小さな寝息を立て始めた。
「よく寝ておけェ、剣持刀也ァ。ゆっくり休めよ。俺は剣持刀也を、絶対にこの部屋から、逃がさない」
 葛葉はその何時間か後に訪問を知らせるベルがなるまで、その場をずっと離れなかった。

◆8
「はー、はー、やっと着いたな……。久しぶりにすごい長い時間歩ってた気がするわ。でもここ、やけにすんなり入れたなあ。ガッくんの顔パスだったん?」
「こんなに黒い家、ラーメン屋さん以外で初めて見たかもしれません」
 ヨーロッパのような街並みの大通りを奥へと進むと、手入れの行き届いた広い庭を持つ大きな真っ黒の洋館が建っていた。美兎はもはや、異界への恐怖よりも好奇心のほうが勝ってしまっていた。これが恒常性バイアスとでも言うのだろうか。
 ガクが玄関の呼び鈴を鳴らし、にじさんじの者です、と告げ名を名乗ると、しばらくして扉の鍵が開く音がした。その後、小柄な使用人に手ごろな広さの客間へと案内され今に至る。
「みて! あそこに皿飾ってあるで!」
「いかにも伝統的なおうちって感じですねえ。廊下も広くて長いですし。クマの木彫りとかもあるんですかね?」
 洋館の内装は黒と赤を基調としており、シックな雰囲気で統一されている。それは客間も同じで、ワゴンに乗せられたボーンチャイナのティーセットは美兎にとってひときわ美しく輝いて見えた。
「いただきます」
 チェーン店の紅茶とは比べ物にならないくらいおいしい。渋みが全くなくて、それでいて落ち着いた味わいのブレンドだ。本当に淹れるのが上手い。花と果物の甘い香り。華やかだけど、どこか懐かしさを感じる風味だと美兎は思った。楓も隣でおいしそうにひとくち、ふたくちと飲んでいる。おいしいね、と言うのが二人ハモって、笑った。
「裏庭で採れたフルーツを香りづけに使っております」
 やせ型の使用人がそう言った。
「そうなんですね」
 美兎はお茶菓子の甘いクッキーを口にした。しだいに気分が落ち着いてきて、意識がはっきりとしてきた。そこで、屋敷に入ったときから気になっていたことを訊いてみることにした。
「連れてきてくれたってことは、ここに剣持さんがいるってことですよね、ガクくん。私たちは後をついて行っただけとも言えるんですが」
「そうっす。急いでいたもので申し訳ない……! 葛葉くんのメッセージが怪しいってのと、この姿になった時に……」
 ガクは自分の顔を人差し指でさした。
「自然と、こう、分かったっつーか」
「キツネの神様だからなん?」
「はて? というのは今は冗談で、今の不肖伏見、キツネではあるんだねえ? まだこの状態の仕組みについて、詳しくは教えられないんだけれども……! そもそも葛葉くんの住所は公式サイトに載ってたし、訪れる価値はあるかなと思って、お邪魔してみたんす!」
「その、結構度胸ありますよね」
 アポなしで突撃できるということは、それだけ彼の中で確証があったということなのだろう。
 恐らく、いや確実に、彼はいま人知を超えた何かだ。彼の発言には有無を言わせぬ説得力があり、美兎はたた受け入れるほかないような感じがしていた。それは恐らく、ずっと苦笑いをしたまま表情が固まっている楓も同じだろう。
 小柄なメイドが紅茶のおかわりをくれる。美兎たちはもう一杯いただくことにした。
「わざわざ来てもらって……申し訳ないけど」
 聞き覚えのある声が客間の入り口から響き、美兎は振り返った。
「葛葉さん!」
「茶飲んだら帰ってもらうからな。絶対に剣持刀也は渡さない」
 葛葉は赤い目を光らせて、そう言い放つ。美兎にはそれが蛇のように見えた。
「ど、どうしてです」
 美兎と楓とガクはソファから立ち上がり、葛葉と相対する形となった。
「剣持刀也は今、俺だけのものだから」
「ははーん。魔界の屋敷の中に閉じ込めて出られへんようにしてるっちゅうことか」
 楓に責められ、葛葉は下を向いてこめかみをおさえた。何やら気まずそうに足で地面を不規則になぞる。
「……そうだよ。もちさん忙しいからさ、たまには二人でオフで会って引きこもってゲームすんのも悪くないよな、って思って誘ったんだよ」
「いつ」
「そ、それは……」
「葛葉くん、失礼なことをいうかもしれないけれども、剣持刀也は先に俺達と会う約束してたんで、事実とは異なる……つまり約束を忘れて葛葉くんとわざわざ過ごす可能性は、限りなくゼロに近いと思うんだな……?」
 気圧されて後ずさりをする葛葉。
「急にこっち来たくなったんだろ。……い、いやもちさんに限ってそれはないよな、クソッ」
 混乱している葛葉の様子はその場の誰もが分かることだった。蛇のように見えたその姿も、今は実験用のネズミのように怯えて見えた。プレミである。
「どこにいるのか教えてほしいんだ。刀也さんに会わせてくれ。俺は刀也さんが無事かどうか分かるだけで、いいから」
 冷静に、落ち着いた声音で伝えるガクの言葉に、葛葉は首を縦に振ることで答えた。

◆9
 案内された部屋は屋敷の二階に位置しており、階段の踊り場の窓からは雨が降ってきているのが見えた。部屋の中は分厚いカーテンを閉め切っていて真っ暗に近かった。美兎が目を凝らすと古くてもよく手入れされた黒檀の家具が並んでいた。
 ベッド脇の小さなチェストの上には凝った作りの小さなランプが置かれていて、葛葉はそれだけを点け、ベッドサイドに移動させた自分の椅子に腰かけた。美兎たちは使用人が慌てて用意した別室の椅子に腰かけ、同じくベッドサイドに座した。
「生き、てる」
 静かな寝息を立てる白い顔の刀也を見て、思わずガクはそう言った。
 四人は刀也の側で、そのまま何時間も自由に過ごしていた。幸いにも部屋には葛葉が昔よく遊んでいたゲームやおもちゃが大量にあったため、いくらでも時間を潰すことができた。
 こんなに穏やかに夢を見ている人を、誰が考えなしに起こせるだろう。連れて帰ると躍起になっていたガクも、刀也の寝姿を見た途端、牙を抜かれたようになり、そのまま寝かせておこうという判断を下したのだった。今は人気カードゲームのアプリゲーム版を葛葉と元気よくやっていて、美兎はそのテンションの落差に驚きを隠せなかった。
「その、よく寝てるね」
 もう何杯飲んだか分からないおかわりの紅茶をごちそうになっていた楓が横たわる刀也を見て言う。
「ここに来てもう、かなりの時間は寝てるな。そろそろ起きてもいい頃だけど。よっぽどの睡眠不足だったか?」
 葛葉が指を折って数えた。
 カーテンを閉めきっていても雨音はノイズのように鳴りやまないままだ。美兎は軽く深呼吸して口を開いた。
「葛葉さん、ガクくん、異界に詳しいお二人に相談、というか提案があるんですが」
「どうしたっすか?」
「多忙な剣持さんは夜、電車に乗っていたらいつの間にかここ、異界に迷い込んでしまった。異界を夢だと思い込んだ剣持さんは、それからずっと歩き続けているうち、葛葉さんの実家にたどり着き、葛葉さんのすすめで眠ることにしたんですよね」
「ああ」
「でも、剣持さんには悪いですけど、もうそろそろ戻らないといけないと思うんです。元いた世界では、剣持さんも、私たちも、いないことになっているんでしょう? 家族や友達、リスナーさん達や周りの人を心配させてしまっているんじゃないかって思うんです。ほら、剣持さんは実家暮らしだし、親御さんとか心配してますよ」
「そういえば配信とかもあるしねぇ。みんな大丈夫なん?」
「あ~俺バカじゃん! 今晩の配信のことなんも考えずにいたわ! 本当に申し訳ないわ。みんなも今日配信あったんスか?」
「わたし達は夜ごはん一緒に食べるつもりだったからもともと夜は予定入れてないよ。今日ずっとツイッター動かしてないのはちょっと変に思われるかもしれへんけど……」
 楓の一言にハッとした皆は一斉にツイッターを開き、何らかの日常ツイートをしようとしたのだが、その不自然さに全員が一瞬で気づきやめる流れがあった。皆、恥ずかしくなったのでこのことは刀也には一生言わないようにしようと視線を交わすことで誓いあったのである。
「俺もそろそろ元の世界へ帰ったほうがよさそうな気がするぜ……!」
 沈黙を破ったのはガクだった。
「聞きたいんやけど、あっちもこことおんなじように時間流れてんの?」
「浦島太郎になるかってことっスね。ちょっとは差あんのかな? あってもたぶん誤差程度っスよ。俺は感じたことないっスね」
 俺は仕組みとかそういうの、なんも分かんないっスけど、と付け加える葛葉。
「じゃあ今戻ったら何時なん? 腕時計狂っちゃってて分かんなくて」
「いま夜の九時くらいなんで、トンネルを使って戻るとなると十時には戻れるっスよ!」
「よかった。じゃあ剣持さんを起こしてそろそろ帰る準備を……」
 美兎の言葉をガクが制止する。
「ちょっと待ってほしいんだな。前にチラっと言ったんだけれども、もう少し説明を挟ませてほしいっス! にじさんじのライバーは次元の狭間で生きているわけだから、もともと異界には引き寄せられやすい体質なんだねえ。刀也さんはその体質が俺と一緒にいることで増幅されて、異界に引き寄せられたと考えられるんだねえ」
「そこまではわたくしも理解できました」
「それがさ、黄泉戸喫って知ってるか? よ・も・つ・へ・ぐ・い。あの世の食べ物を口にすると、あの世の仲間入りをしてしまって、戻ってこられない、みたいな意味なんだけども」
 美兎と楓はここで振舞われた紅茶とクッキーを思い出し、寒気を覚えた。
「わたくしは死んでしまったんですか!?」
「何してくれんねん!」
「いやいや大丈夫ッスよ、先輩方は。もともと俺らと仲良くしてる時点でこっちに片足突っ込んでたようなもんだからさ」
「へ?」
「どういうことや、言うてみい」
「これまでと何も変わらないよ。俺たちはずっと若いままってことさ」
「バーチャルライバーだからそれは都合いいよな!? もう二人はただの高校生じゃなくて、永遠に歳を取らない異界寄りの存在ってこと。でもこれ、《にじさんじ》の仕組みとダブるとこあるよな!? だから要は、何も変わらないんすね~。もし不安なようなら、元の世界に戻ってから相談に乗るんで!」
「……二人とも何言ってるん? よう分からんわ」
 怪訝な顔をして楓が言う。
「まあ、要は、わたくしと楓ちゃんは変わったようで何も変わってないってことなんですね。でもそしたら、剣持さんは違うってことですか」
「そ。問題は刀也さん。刀也さんは突然異界に引き寄せられたレベルでもともと異界寄りの身体だったのにプラスして、葛葉くんの用意したホットミルクで黄泉戸喫がマシマシになって、完全に異界の拘束の中で暮らす専用の身体になっているんだな! だから刀也さんだけは異界から出られないんだぜ」
 笑顔で言い放つガクに、葛葉は自分にできる一番の絶望の表情を向けた。
「い、異界の拘束って、まさか、俺がずっと寝てろって言ったのも拘束にあたるって感じ……?」
「日本には言霊という考え方があるんだねえ。そう口に出して言ったってことは、刀也さんは異界から出られないどころか、この先ずっと目が覚めないままなんだぜ」
「そんな……」
「なんか方法はないの?」
「お、俺、またなんかやっちゃいました……?」
 唖然とする三人に晴れやかな笑顔で応えるガク。
「大丈夫! そんなこともあろうかと、その解決策は用意済みっス! 刀也さんの体内バランスを元の世界にいた頃のルーティン、まあ主に食事のやりかたで元どおりにすればいいんだぜ! 題して、逆・黄泉戸喫をやるんす!」
「それって、どういう」
 涙交じりにも聞こえる声で葛葉が問う。
「つまり! 刀也さんを聖餐に参加させるという話なんだねえ。聖餐っていうのは簡単に言えば聖なる食事のことなんだぜ。ワインとパン、とかな! んーっうまそうだぜ!」
「よく分からへんけど、名案やな!」
「よく分からないけど、やりましょう!」
「よく分からんけど、狐? になってるガクさんが言うなら間違いないっすわ。やるしかないでしょ」
 三人の頭の中にはまるで疑問符しか浮かばなかった。

◆10
おはガク!トマトジュース回
「始まりました今回のおはガク!この配信では、みんなで朝食を食べるっていう配信をしてるんだねえ!」
「今は配信やないけどなー。いきなり何に向かって話してるん?」
「なんと今日は! ゲストが来てくれてるんだねえ。みんな誰だと思う? お、もう分かってるってコメントも多いな!?」
「えっガクくんコメント……見えてるんですか!? どこにあるの!?」
「そう! 今回のゲストは……月ノ美兎さん! 樋口楓さん! 葛葉くん! そして、剣持刀也ー!」
「ちーっす、葛葉です。こんばんび。こんばんぷ。これってもちさん起こした方いいの? おーい。もちさーん!」
 ……遠くの声が、段々と近づいてくる。
「今日はトマトジュース回と言う事で、今日は魔界444エリアの葛葉くんのご実家の冷蔵庫からいただいた! 《超濃厚! 百パーセント食塩無添加トマトジュース》を用意したんだねえ~! みんなは何用意した? おっ飲みやすいフルーツミックスの野菜ジュースで参戦! 素晴らしいな! おにぎり、スムージー、手作りのトマトで作ったトマトジュースとはアツいな!?」
 この流れ、どこかで聞いたことがあるような。でも、あと少し、寝ていたい……。
「みんな、持ってきたよ~! 美兎ちゃんグラスここに並べて」
「わかりました。一リットルパックが二つですか。みんなでしっかり飲む分にはちょうどよさそうですね。葛葉さんトマトジュース飲めます?」
「……頑張ります」
「無理だけはしないでほしいんだな!」
 これは、そうだ、思い出した。おはガクだ。
「ガッくん! コップに皆のぶん注いだよー」
「ありがとう! 手伝ってくれてありがとう! それじゃあさっそく……いただきます」
『いただきます』
 リマインダーをセットした記憶はないけれど、これはいつもの「おはガクで迎える朝」そのものだ。
「ん~! んまい! やっぱり朝はトマトジュースなんだねえ!」
 聞き覚えのある声だ。懐かしい。問題なのは、声がすぐそばで聞こえるという点だが。
「うん! 普通においしいトマトジュースですよ。洋食と一緒にいただきたいですよね」
「濃厚ってある通り、結構とろっとしてんのな。トマトジュース、好きな人は好きだよね」
 温かい雰囲気。この声は委員長とでろーんさん?
「んー。トマトの味がする……」
 調子の悪そうなのは葛葉か。トマトが苦手なのも相変わらずだ。
「苦手な人は代わりの野菜ジュースでも、コンポタでも、自分の食べられるもので参加してほしいんだな! 今は聖餐の最中だから、ゲストの皆さんは口つけるだけでも我慢してほしい所はあるが!」
 聖餐……? なぜそんな物騒な言葉がこのムードで飛び出すんだ……?
「ああ。実家がこんなんだし、聖餐の大切さは俺でもわかってるから。そういえばなんでトマトジュースなんだ? キッチンには他にも駄菓子とか、ジュースとかあったと思うけど」
 いや分かるのかよ。聖餐って何するんだよ。こっちは何も分かんねえよ。というか僕はいまどういう状況……?
「それは、そこで今起きたばっかりの刀也さんに訊けば分かるぜ!」
 あ、まぶたを動かしたら光が見えてきた。みなさん何で僕のそばにいるんですか。え、ここはどこだっけ……?
「おはよ! 目ぇ開いてほんま安心したわ!」
 みんなが真っ赤なシャンパングラスを片手にこちらへ駆け寄ってきた。え、血? 葛葉が吸血鬼だからってこと!? でもなんで? うわ口元に赤いの付けて嬉しそうにこっちを見るな! 寝起きにはあまりにも怖すぎる後景だろ!
「もちさん! あーよかった! 俺のせいで一生このまま寝たきりだったらマジのマジで償いきれねえって思ってたぜ~……!」
 涙声でこちらを見る彼は目を潤わせていて、まるで小型犬のようだ。
「刀也さん!! あー良かった! Aパートが無事成功したんだねえ! 聖餐……じゃなかった、今日のおはガクはトマトジュース回! 刀也さんの分も用意してあるぜ!」
 あ、やっぱり血じゃなくてトマトジュースか。おはガクでジュースものなんて珍しいな。目覚めの一杯なんて、僕の朝のルーティンとぴったり合致している。
「前に刀也さんが、日課として朝トマトジュースを飲んでるって言ってたの思い出してさ。遊びに行った日の翌朝、ほんとに飲んでる! って感動した覚えがあるぜ」
「当然のように泊ってる話すんの相変わらずやな。はいどーぞ」
 え、でろーんさん、わざわざ注いでくれてありがとうございます。でもなんで……? やっぱり僕の夢か……。
「剣ちゃん、おはよう。すいぶん寝てたねえ。夢の続きを見ようと二度寝したらだめよ~。ほら、剣ちゃんの大好きなトマトジュースだからね。ちゃんと飲める? こぼしたらお母さん、拭いてあげるからね~」
 母親面すんな。笑いながら僕はグラスを傾ける。
 深い赤をした半透明の濃厚な液体が、僕の乾いた唇に染みる。ゲルのような、ゆっくりとした動きをしてのどを通り、おなかに収まる。
 僕の喉仏の波打つ動きにみんなが目を向けているのが、目を閉じていても分かった気がした。
 さっきまでどんな夢を見ていたっけ。僕はどこかへ迷い込んで、長いこと歩いて、疲れてここで眠っていたような気がする。詳細を思い出そうとして辿ったまぶたの裏の記憶。……百を越えた通知の数字。一時間目の化学室の臭い。同僚からの冗談交じりの楽しい業務連絡。事務所で飲んだお茶の味。配信の設定画面は前に使った素材でごちゃついていたっけ。
 目を開けると、そこにはシャンパングラスの底があった。
 軽く伸びをすると、ガクくんと目が合った。
「おはよう、刀也さん」
 僕に向けられたガクくんの笑顔は朝のやわらかな日差しだった。
「じゅうぶん、よく寝ました。今夜の夢はもう終わりなんですね。いやあ、なんだかんだ楽しかった。おかしな夢の世界もたまにはいいものですね。では、そろそろもとに戻りましょう。はい。さっきから気になってたけど、ここどこです? もしかして葛葉の家? カーテン閉まってるけどだいぶ暗くないか? もしかして夜なの? 僕何時間寝たんだ……まあいいや。あとで話聞かせてください。知ってるんでしょみんな、その顔は! あはは。ということで、みなさんここまでお疲れ様でした。僕を見つけてくれて、ありがとうございます。いい夜を」

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