「そこだ! そこに隠れよう、椎名!」
いつもの通り、僕が指示を出す。
「こんなベッドの下なんか、すぐ見つかるよ~」
ビビりの椎名はおろおろとしている。
「僕の分析では、あいつは視界が高いけど、その分しゃがんだりはできないからいける! 早く隠れろ!」
「もう嫌や~、怖い……」
僕らはホコリくさいベッドの下に隠れた。椎名の身体もすぐそばに入ってくる。僕と同じく学校の制服姿だから汚れは後で落とさないとな。
ここはベッドルームだ。照明はない。明かりがない部屋にはあいつは入ってこないみたいだから、きっとここが安全地帯だ。
「懐中電灯消して。見つかるぞ」
「あ、ごめん」
「あいつ」とはこの家に住みついた怨霊のことを指す。
怨霊退治の依頼を受け、僕らは住んでいる街の住宅街にあるおうちを訪ねている。このおうちは既に一人暮らしの住民がいて、家財道具などもそのままだ。
依頼人の話によると、住民は夜な夜な女性のすすり泣く声が聞こえ、声の元へ向かってみると突然知らない女に襲われ、意識を失ってしまったというのだ。意識を失った住民はその後家族の発見により病院へ連れていかれた。今も入院しているのだが、怨霊のことがトラウマになっているという。警察がどんなに調べても事件性はないと判断され、憔悴しきった家族が最後の頼みの綱として僕らに依頼してきたのだ。
「いつもの通り、あいつの背後を取ろう。僕が竹刀でひるませるから、その間に『あれ』やって。分かった?」
小声で椎名に指示を出す。僕の竹刀は物理攻撃はもちろんのこと、椎名の「協力」により怨霊の類にも有効となっている。
「でもあいつ、包丁持ってるし……刺されたらどうすんのぉ?」
完全に怯えきっている椎名。僕らコンビで唯一霊能力のある彼女は、僕には見えていないものも常に見えているらしいから無理もないことだろう。
「大丈夫だ。人間と違ってあいつには気配を察する能力がない。僕の読みではさっきから一定の行動しかとっていない。だから、背後を狙えばいける」
「本当? じゃあ……行こ!」
椎名がベッドの下から這い出る。僕も出てブレザーを軽く叩く。
廊下を往復しながら、うっかりここに来たばかりの僕らが明かりをつけてしまった部屋に入る怨霊。その部屋から出てくるまでは三十二秒。出てきたら間違いなく僕らから見て向こうへ移動する。こっちにはこない。パターンは読めた。行こう。
心の中でカウントして、ベストタイミングでベッドルームを出る。あれだけ怯えていた椎名も相手のパターンが読めれば機敏に動ける。
部屋を出てきた怨霊は女性の姿をしている。髪はボサボサで、すその長い地味な色のワンピースにネックレスをつけて、足を引きずるようにゆっくりと動く。
今だ。
僕は竹刀を取り出し、怨霊の後頭部を強く叩いた……が、今は椎名の「協力」により、この竹刀は日本刀と同じ切れ味を持っている。
怨霊の黒い血が噴射する。それでも怨霊はくるりと振り返り、こちらを見据え包丁を構える。椎名の怯む声が聞こえる。僕は竹刀で相手の胴を斬った。連続で、腕と脚も斬る。
「……今だ椎名! いけ!」
「えっと、え、んんんん……、お、『おさらば椎名』ッッ!」
椎名はスカートのポケットからお札を取り出し、血まみれの怨霊の額にぺたりと貼った。怨霊はみるみるうちに白骨化した。そして、椎名が「ふぅ」と息を吹くと、骨は砕けてすべて粉と化した。
除霊完了。
除霊した証拠として、骨粉を集めるのは僕の仕事だ。椎名は怖がっていつもやりたがらない。もう害はないのに。こういうのについてちゃんと勉強した僕が何回説明しても納得してくれない。百円ショップで買ったちりとりで集め、小瓶に詰めていく。僕はウエストポーチにそれらを入れて、手を払った。
住宅の少々荒らしてしまった部分を二人でできる限り修復して、僕らはここを出た。
「じゃ、今日も僕が骨粉のこと報告しておくんで」
「ありがとうございまーす」
玄関を出た先で僕らは言葉を交わした。
「うわーすっかり夜ですねー。夕方から始めましたけど。お腹空い……いや、腹減ったな!!」
「ですねぇ。……じゃあ、帰りの……電車調べないと」
「……ですね。まずはここをバスで出て……」
くそっ、今日こそ一緒にメシ行こうと思ってたのに! 僕ってこんなにチキンだったか?
これは決してそういうんじゃない。僕が男子校に通ってて、他校の女子と関わるのが貴重だから恋愛目的に頑張って誘おうとしているわけではない。男女問わず友達は多いほうだし、なんならネットゲームを通じた繋がりで他校の人とか大人の人とかと関わることも多い。
じゃあ、なんで椎名を誘えないかというと。うーん。なんでだろう。僕にはまだ早い何かがあるのかもしれない。
僕らは同じバスに乗って、終点でここら辺では一番大きな電車の駅に向かい、別の路線を選んで家に帰った。
改札を抜けてコンビニで紙パックのジュースを買い、ストローを差す。あたしは今の時間帯だと六番線。田舎にある家に帰るためには、選択肢はこの一つしかない。一緒にコンビニに来てペットボトルのスポーツドリンクを選んだ剣持は、視界の上の時刻案内を見て、二番目に速く剣持の使う駅に止まる四番線に向かっていった。二番目なのは、確実に座るためだろう。
ホームのベンチでジュースを飲む。お腹空いた。疲れた。眠い。
あたしには生まれつきなのか、ものごころついたときからなのか、霊能力がある。こういう人は世界に一定数いるらしい。スマホのブックマークから「除霊能力特化人材派遣サービス 霊能スタイル」の画面を開き、今回の依頼の報告をする。どのくらい物を破壊してしまっただとか、そういうことだ。報告が終わると、報酬が振り込まれる仕組みだ。普通のバイトをするよりもずっと割のいい額がもらえるけど、まだ高校生だからそこまで高くはない。せいぜい好きなゲームが発売日にすぐ買える程度だ。
霊能力とは、さっきみたいに悪霊を祓ったり、そこらじゅうに幽霊や妖怪、都市伝説に出てくるような異形のモノ、見た目がグロくてぐちゃぐちゃな悪魔みたいなものが見えたりする能力だ。一時的に人に分け与えることもできる。だから幽霊が見えにくい剣持とバイトをするときはいつも力をあげている。竹刀に力をあげるとほんとの日本刀みたいな切れ味になる。便利だ。
あたしは霊能力を使うたびに代償として疲労感が溜まったり、眠気が生じたりする。分け与えられたほうには代償は生じないらしい。
代償のことについて、剣持に言ったことはない。これからも言うつもりはない。そんなに目立たないはずだから。
早く帰りたいけど、電車は少ない。待つしかない。
電車を待つこの時間は最悪だ。駅のホームというのは、どうしても強い念を持った霊がうようよいるからだ。こちらに助けを求める声を無視してなんとかやり過ごす。
……いるかな。向かいのホームを探してみたら、剣持がいた。少し心が軽くなる。剣持はベンチには座らないで、先頭に並んで小さな本を読んでいる。
あれはきっと勉強をしている。あたしが近所だからという理由だけで通っているド田舎のヤンキー校と比べたらはるかに上の偏差値の私立高校に剣持は通っている。進学校で、剣道の強い男子校らしい。
先に電車が来たのは剣持のほうだった。あいつはここから一駅のところで降りる。前に同じ電車で帰った時に知った。剣持が使うその駅には地下鉄もあるんだからそれで帰ればもっと早いんじゃないかとあたしはいつも思っている。
ジュースを飲み終えた。向かいの電車が発車する。ホームにいた時、スマホでメッセージでも送ればよかった。でも送れなかった。なんでだ。分からん。なんも言うことないしな。
そのあと十分くらい待って、車両の少ない電車がこっちのホームに来た。ジュースを飲み終わってからは立って待っていたから、いつも通り端っこの席にすぐ座れた。車両には剣持が降りる駅を使う大勢の人が乗り込んでくる。あそこは昔からの住宅街があるから人も多いのだ。そして段々、人が少なくなっていって、電車の車輪の音が重たい音でビートを刻んでいって、あたしは眠くなってくる。
後日、派遣サービスから僕らは呼び出された。事務所には登録の時に一度行ったきりだ。でも場所は覚えていた。地下鉄で行ったほうがギリギリ早い。大手予備校のある通りに何やら古めかしい建物がある。その建物の二階に事務所がある。
土曜日で剣道の練習がない日だったから、私服で行った。選び方がよく分からないから、普通の白いトレーナーとスキニーにウエストポーチだ。予備校は現役生コースに僕の友達も通っている可能性がある。椎名と二人きりの時に鉢合わせたら嫌だなと思った。
椎名は来ていなかった。呼ばれてるはずなのに。一緒に大きな駅で待ち合わせてお昼を食べてから来ればよかったかなと思った。でもなんだか誘える気がしなかった。
四十分くらい遅刻して椎名は来た。ココア色の長袖トレーナーに、白のカーテンみたいにジグザクになってるスカート。私服を見るのは初めてだ。
「すいやせん、電車が遅延して……」
そういえば椎名はいつも五・六番線しか使わない。風に弱くもともと本数の少ない路線を使っているみたいだから、ちょっと家を出るのがギリギリなだけですぐさま遅刻が確定してしまうのだろう。
派遣会社のスタッフはそれも想定していたらしく、そんなに怒っていなかった。
「剣持刀也さんと、椎名唯華さんですね。今日はお集まりいただきありがとうございます。スタッフの八乙女です。先日のあの住宅での一件、お疲れ様でした」
八乙女さんというスタッフはアヴァンギャルドな模様の身体のラインがくっきりと出るワンピースを着ているお団子頭の女性だった。にこにこと笑いながら話す。真っ赤なリップが印象的だ。
こちらは高校生のガキなのに、大人と同じように丁重に扱ってくれるのがなんだか嬉しかった。
とりあえず頭を下げる。
「剣持さんがこちらに送ってくださった骨粉ですが、解析したところ面白い事実が分かりまして」
「面白い?」
「?」
僕らは首を傾げた。
「あの住宅街ですが、近くにA大学がありますでしょう? どうやらそこに通っていた女性の霊だったみたいなんです。A大生の女性は実家暮らしで、その実家というのが先日の派遣場所です」
その女性に何かあったのだろうか。八乙女さんは話を続ける。
「そこの文学部で言語学の研究をしていたそうなんですが、女性はある日お付き合いをしている同じA大の先輩の家に招かれました。ただその先輩というのが、病的なまでに性的に奔放でして」
僕らは気まずくなった。
「あ、高校生なのにごめんなさいね。でも、重要なお話なのでぜひ聞いてほしいんです。無理なら遠慮せず言ってくださいね。女性はお付き合いをしている先輩の奔放さを苦痛に感じていて、それでも大学での真面目に研究に打ち込む様子を思い出してしまって、止められなかったそうです。ある時、先輩の家に行ったら……それで、彼女は促されるままに、嫉妬心もあったでしょうね。……参加してしまい、そのことをトラウマに思って自殺。怨霊となってしまったそうです」
「はー、間の点々が読めたぞ。あたしは」
「え、分かん……ない、僕」
もう一人の彼女がいたってこと? 参加って? は?
「言い忘れてましたけど、先輩というのは女性です」
「ほー」
「なるほど?」
「その、性的に奔放というのも、相手は全て女性。同時にベッドの上に五人いたこともあったとか。その五人ってのがこの一件のあれなんですけどね?」
「うわー」
「きちい」
高校生に聞かせる内容じゃないだろ。まあでも今は少年誌でも普通にそういうシーンあるからいいのか? 男子校だから感覚が分からないだけ? ともかく。
「わざわざ僕たち高校生に聞かせる内容じゃないのに伝えたってことは、それもまた悪霊絡みの事件の手がかりとなる情報ってわけですね?」
「剣持さん、察しが良くて助かります。先輩はA大学の近くに民間業者が建てた学生マンションに住んでいたのですが、もう卒業したその先輩の部屋を借りる人が次々に性的な問題、事件を起こしているのです」
「……その部屋に悪霊おるねぇ」
椎名がトレーナーの袖から手を引っ込めて、お化けのようにした。
「そうです。次の依頼は、直接のお願いなのですが、ぜひお二人に除霊していただきたく思います。報酬ははずみます」
椎名が渋る表情をした。僕も同じ気持ちだ。
「それってどうして僕らに頼むんですか? もっと他に強い霊能力者いるはずでしょう、ここって」
「……それが、今まで七回ほど派遣したのですが、一向に除霊できないのです。悪霊の存在自体は霊能力者による目視で分かっているのですが」
表情を曇らせる八乙女さん。どんな表情も絵になるひとだ。
「もっとここに登録してる霊能力者いませんか?」
「はい。おっしゃる通りなのですが、何回かの派遣で分かったこととして、霊能力者二人を派遣することで、どうやら除霊できるそうなのです。それで現在、コンビを組んで活動しているのはお二人だけです」
「あれ、そんなになんだぁ」
「もっといるかと思ってました」
八乙女さんは苦笑いをした。
「そもそも、本当に霊能力があって登録している人というのがごくわずかなのです。剣持さんもご自身に霊能力はなく、椎名さんから毎回お借りしていますよね? その相性というのがなかなか合うものではないのです。お二人がコンビを組んでいるのはまさに奇跡のようなものですよ」
僕らは顔を見合わせた。首をかしげる。
「この依頼、引き受けてくださいますか」
依頼には、民間からの依頼と事務所からの依頼がある。今回は後者だ。後者のほうが深刻であり、危険性がある。ただし、報酬は民間の倍以上だ。ちなみに前回は民間からの依頼で、僕は読みたかった少女漫画を全巻新品で大人買いし、それでも少し余ったくらいだった。
「僕はできます。椎名は?」
「……悩む。でも、受けます!」
この時の僕は、どうして椎名が悩んでいたかについて全く知らなかった。
「なんで剣持はこのバイト始めたん?」
事務所を出てから辺りを見回してそわそわとしている剣持にあたしはそう言った。あんなに危険そうな依頼をすぐ「僕はできます」なんて。なんで?
「社会勉強です。大学とか、就職とかで有利になるでしょう、色々経験しておいたほうが」
前にバスの中で聞いたときは「小遣い稼ぎ」と言っていた。言うことがコロコロ変わる。
あたしはただ単に、向いてたからってだけ。コンビニ、ファミレス、カフェバイト。全部要領が悪くてなのか、体力が無かったのか、クビになった。
「社会勉強なら、駅の周りに沢山あるチェーンのカフェとかの方が身につきそうやけどな……」
あたし達は電車の駅まで歩くことにした。剣持は地下鉄で来たみたいだけど、電車で帰るみたいだから一緒に歩いている。お腹空いた。何も食べてない。古着屋さんのある通りに入ると、美味しそうなタルト屋さんが建っていた。フルーツぎっしりで、つやつやしてて、お、おいしそう。
「わー、美味しいのあるー! 椎名この店入ったことあります?」
甘党なのかよ。
「ないよ! めったに街中歩かないもん!」
「……その、今度……」
「?」
今度行こうって? いや今行くんじゃないんか!? いやお昼まだだから甘いのはちょっとだけど! 何!? あたしもしかして距離だいぶ取られてない?
「っ……。はは。お腹すきましたね。お昼食べましたか?」
「食べてないよ!」
そういえば一緒にごはん食べたことなかったな。カフェですら一緒に行ったことないかもしれない。いつも夜だからかな、バイトが。
「うわ、急にデカい声出して。もー。アーケードのどこかで僕はごはんにしようかなと思っていました」
「あたしもアーケードで食べる!」
「僕と張り合ってるのか?」
張り合ってるんじゃなくて! 一緒に食べよう? って言い出したいのに!
「……どこで、食べるん?」
こんな探り探りな言葉しか出てこない。他校の男子とプライベートで話すのってこんなに難しいことなん?
「決めてないや。とりあえず歩こうと思ってた」
「あたしもとりあえず歩くわ! ふん!」
そのままあたし達はこの街の有名なアーケード街を端っこまで行こうと歩きつづけた。ゲームセンターがたくさんある通りとかを通って、デパートとかがある方を右に曲がって、カラオケ屋なんかを眺める。お腹空いた。もうどこでもいいからお店入りたい気分や。
……急に、自分の足が動かなくなった。剣持はキョロキョロしながら先を行く。なんで? あ、疲れたんだ、あたし。商店街は人が多い。人が多い所というのは霊や異形の物も多い。気にしないようにしていたけど、見るだけで代償は発生する。今すぐ、ここで休みたい。でもこんなのわがままかな。剣持の背中はどんどん遠くなっていく。信号を渡ろうとしている。……ねえ、そっちにいかないで。
そう思った瞬間、剣持はくるりと体の向きを変えた。え、振り向くとかじゃなく、体の向きを変えた? こっちに向かってくる。ずいぶんと速足、駆け足だ。
「置いていっちゃってごめん。大丈夫? 歩けそうですか」
「む、無理……。や、ほんまに無理ならここから家まで帰れないんやけど……。あはは。……ううん、ほんまに無理、ねえ、どうしよ?」
情けなくて涙が出そうになる。足は棒のようになってしまい、動かせない。膝、曲がれ! 足首、動け! ……無理。
剣持があたしと同じ目線になるまでしゃがんだ。
「僕の肩貸したら歩けるかな」
白いトレーナーの右肩のところを手で叩く剣持。顔を見られない。恥ずかしくて、情けなくて。
「もうね、足が固まっちゃったみたいで、その、信じてもらえないかもしれないけど、だめなんよ。ごめんね」
あ、だめ、頬を伝う涙が温かい。
「わかった。疲れちゃったのかな。嫌だったり痛かったら言ってね」
公衆の面前で、剣持はあたしの肩と膝裏に手をやって、ひょいと持ち上げた。恥ずかしすぎてあたしはそっぽを向いた。そして剣持は、躊躇なくすぐそばの小さなビルに向かい、狭い階段を慎重に上り、ドア前で口をパクパクとさせ、店の人に開けてもらう。察した店員がソファ席を案内する。あたしはそこにゆったりと寝かされる。剣持はそばにしゃがんであたしの顔を見ている。
店内はゆったりした曲がかかっていて、椅子席とソファ席でエリアが分かれているらしかった。椅子席はさっきのアーケード街に面していて、気持ちのいい明かりが入る。ソファ席は間接照明のようなほのかに暗い落ち着く場所になっていた。
店員がこちらに来る。
「お怪我大丈夫ですか? 緊急事態ですので、ご注文は無理になさらなくても結構ですよ。ごゆっくりどうぞ。お手伝いできそうなことがあればいくらでも」
「飲み物を、えっと、僕はアイスココアで」
剣持がメニューを読み上げてくれる。コーヒー、紅茶、ハーブティー、ジュース、ココア……。
「あたしも、アイスココアで」
「かしこまりました」
ふかふかのソファに身体を預けていたら、だんだん楽な気分になってきた。身体を起こして、剣持と一対一で見つめあう。
「ありがと! もうだいぶ、楽になったわ」
「そう言ってもらえると色々と助かります」
苦笑いする剣持。
「力あるんやね」
「剣道部ですからね」
「そのな、感謝が百なんやけど、その中に……ほんの一くらい、恥ずかしさがあったな! うん!」
自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。
「……そうですね」
相手も同じくらい真っ赤だ。
「でも全然いやじゃなかったよ、その、ありがとう」
「……はい」
このカフェではランチメニューもあるみたいなので、追加で二人ぶんパスタを注文した。それをお昼ごはんにした。お店を出る時にはもう、嘘のように足は元通り動いていた。
学生マンションはずいぶんとセキュリティーのしっかりしている建物だった。当然だろう。家賃も高いらしいし。高校の制服ではまず入れないと判断した僕たちは、考えに考え抜いた結果霊能力者らしい格好ということで和装、つまり僕が紋付袴で、椎名が巫女服を着てきた。道着じゃないのは、汚れたら部活で使えなくなるだろうから。
そうして、エントランスのセキュリティーに僕らの所属する「除霊能力特化人材派遣サービス 霊能スタイル」のカードを見せた。するとエントランスの鍵を開けてくれた。僕は竹刀を片手に持ってる完全なる不審者だというのに。それと、今から向かう部屋の鍵ももらった。エレベーターで向かう。
「その巫女服、どうやって手に入れたんですか」
「かわいいやろ。通販」
「僕のは本物の袴ですよ」
「すごいね。普段いつ着るん?」
「正月ぐらいかな? 持ってる僕の方が少数派だと思う」
「あたしの地元では成人式にすごい髪型にしてる男の人がもっと派手なやつを着てたよ」
「たぶん全国的に見られる現象だよね、それ」
雑談をしているうちに、エレベーターは七階に到着した。
建物は口の字型で、外からはそれぞれの部屋へ入るのが全く見えない作りになっていた。口の字の中央部は念入りに飛び降り防止のためのネットが張ってある。
指定された部屋へ入る前に、椎名から霊能力を貸してもらう。血管が集中しているところを合わせるのがいいらしく、僕らは手首の脈のところを合わせるように手をつないだ。竹刀も同じように握ってもらった。
「入る前に、剣持。確認しておきたいことがあるんやけど」
「何ですか?」
「あの時、依頼を受けた時、剣持はこの悪霊がどのくらいの強さだと思った?」
「……あの時は普段と変わらないくらいだろうと思っていました。でも、椎名を見て」
「あたし!?」
「隣で一瞬だけ言い淀む椎名を見て、やばいなってやっと気付いた。今まで、僕が指示を出したりサポートしたりしてたじゃないですか。もともと民俗学というか、こういう怪異には詳しかったので。でも、たぶん今から対峙するのって、はるかに僕の知識を超えた存在だと思うんですよね」
僕がこのバイトに応募したのは、そもそも心霊現象なんてこの世に存在せず、怯える依頼人のことを僕の知識量で言いくるめれば全て解決するであろう、簡単で面白そうな仕事だと思ったからだった。これは誰にも言ってこなかったことだ。霊能力者なんて実在しないと思っていた。それがきっと普通の感覚だ。派遣会社の正体だって、最初は僕みたいな口達者な人間ばかりを揃えている業者だと思っていた。
それが、初めての勤務で外国人の住んでいた家の呪いを解けと言われてしまい、本物の「お化け」を見て慌てて逃げかえってから、僕はやり方を変えることにした。派遣会社に問い合わせ、本物の霊能力者と組ませてほしいと頼み込んだ。それが椎名だった。椎名と一緒なら、外国人の住んでいた家の除霊はあっという間に済んだ。問題だったのは、彼女が極度の怖がりだったことだけだ。僕はとてつもない霊能力を持った彼女を頭脳面でサポートすることに徹しようと考えた。
「おそらく当たりや。中にいるのは、悪霊じゃなくて、もっと強い、悪魔だと思う。感覚で分かる。おさらば椎名で消えてくれる相手じゃないと思う。剣持の竹刀がどれくらい通用するかも分からない」
それじゃあ、どうして依頼を受けたのか。
「あたし、実はあの日、大学生だった女の人を除霊したとき、声が聞こえてて。『きっとあなた達二人ならあの人の呪いを解ける』って言われてたんよ。だから大丈夫だと思った。憑き物が取れた霊は嘘をつかないんだよ」
椎名にはきっと、僕には見えないもの、聞こえないものがものすごく感じられている。それはきっとすごく疲れることだろうと簡単に予想できた。恐らくだけど、あの時椎名が歩けなくなったのも、椎名の疲れやすい性質が影響していると思われる。
「じゃあ、行こうか」
「う、うん……。ちょっと怖いけどがんばる……」
僕らはキーを使って扉を開いた。
どうやらここには現在進行形で大学生が住んでいるらしい。ペットボトルやチューハイ缶のごみが玄関に散乱している。
「男くさいな」
椎名が言う。住民は男性なのだろうか。
廊下の電気は自動で点灯した。廊下から手を伸ばし、部屋の電気をカチッとつけてみる。
ワンルームで最も場所を食うのは間違いなくベッドだろう。だからまず、そこに注目してしまう。ベッドの上には、恐らく人が横たわっていた。住民には一時退去してもらっているので、これは間違いなく悪魔だ。頭まで布団がかけてあって、見た目は分からない。
突然、布団の中身がもぞもぞと動き出した。椎名がぶるぶると震えて僕の袴のそでを掴む。僕の背後に隠れて、悲鳴を上げないように頑張っている。布団の中身は大人しくなり、静かに上体を起こした。
そこには、アヴァンギャルドな模様の身体のラインがくっきりと出るワンピースを着た、八乙女さんがいた。いや待て。これはつまり、八乙女さんに見えるように変身した悪魔ということだろう。悪魔がそう簡単に正体を見せていたら世界各地でバラバラな悪魔像が描かれるはずもない。
「あら、剣持さんはもう私の正体に気付いたみたいですね。椎名さんはまだのようですが」
「名を名乗れ。僕らはお前の存在を祓いに来た」
僕は竹刀を中段に構えた。廊下から部屋の中へと距離を詰めていく。
「あまり高圧的にならないで下さいね。ここは既に私の領域です。既にあなた方は私の呪いにかけられています」
何だと!? お互いの顔を見るが、ちょっと気恥ずかしくなって目をそらす。いつも通りにしか思えないけどな!
「な、なんも変化してないやん!」
頬を染めた椎名が言う。
「いえいえ、だってお二人とも、今目を逸らしましたでしょう?」
それは最近色々あったからで……っておかしい。エレベーターでは普通に話せていた。この部屋の前でも。顔を見たって何ともなかった。
「お前は……きっと、七つの大罪で言うなら、色欲の悪魔だ。ここに住んだ大学生の人たち、そして僕らに色欲の呪いをかけているんだろう!」
「そんな簡単に名を名乗っては自分の弱点を晒すようなものですよ。と言いますか、あなたの発言に不備がありますね。色欲の悪魔とは具体的に何ですか? 特定できて初めて名づけは効力を帯びますよ。まあ、今のところは、いいえ、とだけ答えておきましょう。呪いの内容は、お教えしておきましょうか。わたくし八乙女が話していた通り、性的に奔放になる呪いです。これ以上の説明はできません。でも、これって人間として自然なことのうちに入りますから、どうか見逃してくれませんか?」
悪魔は八乙女さんの完璧な笑顔をこちらに見せてきた。
僕らが性的に奔放になるって、どういうこと。どうなっちゃうの。これからどうすればいい。
「剣持とあたしはそんな関係じゃないよ!」
椎名が大きな声を頑張って出した。そうだそうだ!
「でも、バイトの後、一緒にごはん食べたいのに恥ずかしくなっちゃって誘えないんでしょう?」
僕はぎくりとした。僕はその件について頭に蓋をしていた。そこを突っ込まれると太刀打ちできない。
「駅のホームで相手を無意識に探しているんでしょう?」
僕はいつもホームで朝の小テストに備えて単語帳を見ているし、待つこともなくすぐに電車が来るから当てはまらない。椎名の方を見ると「あほ! ばか!」と言われた。僕の方もすごく恥ずかしくなってくる。
「お姫様抱っこの時、どんな気分だったんですか?」
あ、あれは、椎名が困っていたから、助けるのは友達として当然で……。
そうだ。「友達」。僕らに欠けていたのは、この言葉だ。
「あら? 剣持さん。何か思いついたみたいですね。」
「あんた僕らの頭を透視できるんだろ、声に出して言う意味はあるのか」
「ええ、言霊というものがありますでしょう? 剣持さんは詳しいから説明するまでもないですね。おっしゃってください。あなた達はどういう関係性なのか」
「お、お前っ! まるでカプ厨やん!」
「うふふっ、あはははははは。おそらくこの日本で最も適切な呼び名で呼んでくれて、ありがとうございます。椎名さん。さあ、おっしゃってください」
僕らの関係性を、そう簡単に言えるだろうか?
「バイトの同僚ですよ」
「剣持さん。さっきも申し上げましたけど、広い意味を持つ言葉を使って表現した気になるのはおやめなさい。呪いをキツくしました。お二人が関係性を言うまでこの部屋から出られません。ちなみにわたくしはいつでもここから出られるんですよ。地縛霊じゃあるまいし」
絶体絶命。というかマジで、性的に奔放になるっていうのがどういうことなのか分からなくて、怖すぎる。カプ厨の悪魔、強い。
「これは、分かったわ。その前に一つ試したいんやけど」
ずっと僕の後ろにいた椎名が、妙に落ち着いた調子で言う。
「ええ、何ですか?」
カプ厨の悪魔は余裕の表情を浮かべる。
「おおおおおおおおお、おさらば椎名ァッッ!!!!!!」
椎名がお札をぺたりと悪魔の額に貼り、僕は竹刀を振った。首を斬る。心臓に突き立てる。腹を斬る。腕を二本落とし、脚も二本斬り落とす。黒色の血が噴き出す。
しかし。白骨化しない。黒色の血はスライムのように半固形状になる。そして、首、腕、脚は見事にくっつき、傷跡は綺麗に無くなった。
「くそっ」
「このやろ~」
「残念でしたね。まぁまぁ、不意打ちとは……呪いを強くしました。お二人は現在いわゆる発情状態ということです。さあ、その状態でがんばって、関係性を早く聞かせてください」
椎名を確認する。えっ、目がうるうるしてて、頬がピンクに染まってて、こっちを見つめてくるんだが!?
「けんもち~たすけて~」
ちょっと待て、すごくドキドキするからもう名前を呼ばないでほしい。こういう時はな、お母さんの顔を思い浮かべるんだ……ちくしょう、くそっ、馬鹿か僕は!? お母さんの干してある下着を思い出してどうするんだよ! こんなんマザー●ァッカーじゃん!
「うふふっ、さあ、欲望を解放するといいですよ」
今の僕を誰も刺激しないでくれ! 椎名とお母さんの下着を行ったり来たりで理性を保つのが忙しいんだ! 頼む!
「……けんもちぃ~、あたし、ふーっ、が、がんばるよ~! はーっ、がんばって、せつめいするからね~、はーっ」
うわああああああ。ふっ、危ない、本当に理性が飛びそうだ。そうだ、同級生の顔を順番に思い浮かべれば……いけるはず……くそっ、「全員アリ」だった。畜生。
「け、剣持とあたしは、バイトの知りあいでね? れいのうりょくの相性がいいの……。ふーっ、で、でも、帰りに一緒にごはん食べたりするのはまだぎこちなくて……できてないね。あ、でも一回ね、あたしが具合悪くなった時にきゅうけいで入ったお店で、ぱすた食べたんだぁ~。はーっ、はーっ」
僕は和服を上半身脱ぎ、竹刀で腹に切れ目を入れた。血が出る。痛い。血の臭い、気持ち悪い。痛くてたまらない。椎名に手を出さないためには、切腹しながらマインドフルネス瞑想だ。生温かい。椎名の声が遠くでする。僕の血は落ち着く温かさだ。でもにおいはひどいな、いたいな、くるしい、くるしい。
「ぱすた食べた後にね、また歩けるようになったんだけど、心配だからってけんもちさぁ、あたしの最寄り駅まで一緒に乗ってきたんだよ。大丈夫だって言ってんのにさぁ。誰もいない田舎の駅でさ、いきなり立つとふらつくかもしれないからって、階段のところでだけだけど、手つないでくれたの嬉しかったな」
椎名がこっちを見てボロボロに泣いている。こんなん苦しくない、本当の切腹じゃなくて、切れ込みを入れただけなんだから。ただちょっと深かったかな、血が止まんねえや。馬鹿だな、僕って。
「手つないでくれた時、けんもちさぁ、初めて『友達なんだから当たり前ですよ』って言ってくれて。……あたし、高校で友達いなくて。勉強はバカ高校だから簡単すぎて、毎日暇で。バイトしてみようと思ったけど、全部クビになって。霊能力のバイト、あるんだって知ってからは暇つぶしにやってたんだけど、すぐ怖くなって依頼もスルーするようになって。それからはずっとゲームばっかしてた。一人で。そんな時に、コンビ相手として紹介されたのが剣持だったの。剣持とコンビ組んでからは、ちゃんと悪霊を祓うことができるようになったし、楽しかった。……剣持が『友達』って言ってくれた時、すごく嬉しかったな。なあ、剣持。この一件終わったら、友達として、帰り……ごはんとか……おやつとかさ。ね、死んだらやだ、剣持! ねえ、寝るな、起きろ! あたしを一人にしないで、やだよ、ねえ!」
椎名のことが見えない。はは、大丈夫だって、僕はちゃんと起きてるよ……。
「うふふっ、そういう関係性だったんですね。満足しました。A大生の性事情も知り尽くしたことだし、そろそろここを離れます。そうすればお二人はもう…………」
「…………」
「……」
「……………………」
タルト屋さんの看板メニューは季節の変化と共に変わり、今は剣持の好きないちごのタルトが陳列されていた。あたしはそれを外から見る。つやつやしていて、本当に美味しそうだ。
あの事件以来、依頼は全く受けていない。今日は放課後、久しぶりに剣持に会う。古着屋から出てきた幽霊が、あたしを冷やかす。あたしはいつもの通りスルーする。と見せかけて、小さく舌を出して気づいてるよ、と合図を送った。
あの時。悪魔が消えた部屋で、あたしと血まみれの剣持だけが残されていた。あたしは学生マンションに住む幽霊を招集した。幽霊にこちらから何か呼びかけるのは、まだ幼い子どものころ、友達がいなかったころぶりで。
片っ端から剣持の手当てのやり方を聞いて、医学部学生の部屋に住み着いてる幽霊が持ってきた医学書を読み漁って。それで、素人に縫合手術は無理だと分かった。念能力の使える幽霊が床や服に染みこんだ血を器用に浮かせて体内へ戻している間に幽霊たちと話し合った結果、あたしの霊能力を九割注ぎ込むことで軽傷で済むと分かった。
それであたしは霊能力を注入するために、全力で剣持を抱きしめた。
だから、会うのが、すっごく恥ずかしい。相手は気絶していただろうから覚えてないんだろうけど。
あと、幽霊たちにコンタクトをとってからは絡まれることがやけに増えた。スルーし続ければまた静かになるかな。
「椎名ー! すみません、待たせちゃって」
「わ、けんもち!」
びっくりしたけど、元気そうで安心した。いつもの制服姿だ。
「わってなに? ねえ、来る時ネットで調べたんだけど、季節のタルト、いちごなんだって!」
「けんもちいちご好きでしょー?」
「え! だから誘ってくれたの? あの事件ぶりだよね、会うの」
どれくらい覚えているのだろうか。今日はそこを聞きたい。
「早く食べたいからお店入ろ!」
「ん! 分かった!」
二人で外が見える席に座って、紅茶と一緒にいちごのタルトを注文した。すぐにテーブルは可愛くて素敵なティータイムのおやつで埋め尽くされた。
「いただきます。ん! おいしー!」
「いーただきまーす。え! うますぎん!?」
いちごがたっぷり贅沢に使われている、まさにご褒美デザートだ。
「そういえば、あの事件ですけど、ほんとありがとうございます。僕最後の方記憶が無くて、気が付いたら病院だったんですよね」
霊能力でなんとか回復させた後は、八乙女さんにすぐ電話した。すると、霊能力の存在を分かってくれている大きい病院を紹介してもらい、車で剣持を届けてもらったのだ。
「何か身体に変わりはないの?」
「いやあ、それが、自分で切腹しておいて、ちょっとやりすぎたな……とは思ってたので。まさかこんなに早く退院できるとはって感じですよ。ピンピンしてます。それと」
「……それと?」
抱きしめたことがバレていませんように! 友達をあんな風にきつく抱きしめるなんて、バレたらもう一巻の終わりだ……。
「椎名と同じく、少々霊が見えたり聞こえたりするようになりまして。周囲を飛び交ってる霊たちに聞いてみたら、あの時の椎名すごかったみたいじゃないですか」
「んもおおおおおおおおお」
お店の中で許されるギリギリの声を出した。幽霊たちめ~、このやろ!
「ふふっ、でもそのおかげで今の僕があるので。だから心配してるかもしれないけど、僕としてはこれからも……友達で! いたいと思ってますよ!」
そう言って剣持は爽やかに笑った。
「ムカつく~!」
あたしはこの友達と、きっと一生一緒にいることになるだろうな、と思った。あの悪魔に今のあたし達の「関係性」を見せてやりたい。
こんなに仲いい友達、これはもう親友と呼んでもいいでしょ?
終