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suidosui_txt

suidosuiの小説まとめです (NSFWはここにありません)

卯月軍団地球外居住環境開発支部

宇宙開発が盛んになった時代に、卯月コウが地球外環境開発ステーションへ突然招かれる。どうやら招いたのはリスナーのようで……?という話です。なんでもあり
卯月コウ誕生日おめでとうこれからもよろしくね記念で書きました。
バーチャルYouTuber にじさんじ
卯月コウ

 座席の安全ベルトが軽い音を立てて外れる音がした。しばし呆然とする。自分しかこの部屋にはいない。発射したときと同じように、アナウンスの指示が流れるのを待つ。
 指示はしばらくしてもなかった。目前の無限に広がる満天の星空、というか宇宙空間をただ眺めることしかできない。
 ここは地球ではない。地球外を何らかの軌道を描くようにぐるぐると回っているとある宇宙開発の施設だ。なんでここに、よりにもよって俺が呼ばれたのだろう。これは別に案件でもないのだが……。一か月ほど前に告げられた事務所の強い指示、つまり「どうしても卯月コウさんにやっていただきたい、事務所に来たとあるお誘い」があり、Vを始めてから長いこと経つ俺でさえ、それに従わざるを得なかった。だからここに来ているのだが……。
 今日はVにとって最も重要な日といっても過言ではない、誕生日だ。事務所からは、誕生日配信は翌日以降に回せ、とこれまた強い指示があった。大事な記念配信を後回しにするレベルの、すごいイベント(?)を体験させてもらってるわけ、なんだけども。いきなりすぎて、訳分からなくて、ベルトはキツかったし、なんだか最悪の気分だ。ため息をついた。
 すると、いきなり背後から空気圧の抜ける大きな音で俺は驚いた。目を回していると背の高い大人が二人、後ろのドアからスッと現れた。格式高いスーツを身にまとった二人だ。眼鏡をかけているほうと、かけていないほうが順番に挨拶をする。
「おはようございます。卯月様。わたくしは霜月と申します」
「おはようございます。卯月様。わたくしは葉月と申します。本日は機内の案内をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
 オールバックの黒髪に銀縁の眼鏡をかけた神経質そうな美形の男、霜月が「失礼します」といい俺の安全ベルトを解いていく。地球を脱出するときからかかっていた全身の圧迫感は次第にほぐれていく。
 金髪を七三に分けたおっとりしていて垂れ目で美形の男、葉月はいつの間にかメニューを持ち、飲み物を俺に聞いてきた。
 コーヒー、緑茶、紅茶、中国茶は色々と種類がある、ハーブティーは聞いたことのある名前がいくつか並ぶ、コーラ、サイダー、炭酸水、天然水。
「お茶か何かで……」
「かしこまりました。長旅さぞお疲れのことでしょう。すぐにお持ちしますね」
と葉月が応える。
 今の俺は、誰が見ても分かるように慣れないVIP待遇を受けている。いや卯月家の御曹司としてこういう特別待遇の経験はあるけれど、家庭の外で知らない人からこういう風に扱われるのはほぼ初めてに近い気がした。
 しばらくして、葉月がサラサラの金髪をなびかせながら温かい緑茶をアイドルのような笑顔で持ってきてくれた。器はちゃんと陶器だ。紙コップとかじゃないんだ。
「い、いただきます」
 味は普通の緑茶だった。市販のものと変わらない。
「卯月様。少々今日のご予定について確認したいことがあるのですが、今よろしいでしょうか」
 霜月が眼鏡を押し上げながら言う。ちょっと怖い人だな。でもイケメンだ。
「はい、なんでしょう」
「これから卯月様は、開発ステーション内を自由に見学することができます。以前に打ち合わせでおっしゃっていたことを踏まえ、共同生活エリアの一室では配信設備も整えておりますゆえ、配信をすることも可能です。その後、このステーションの最高責任者、神無月様と食事用エリアで軽い食事会を」
 神無月というのが今回俺を開発ステーションに招いた張本人だ。世界的な大富豪であり、技術者でもあり、作家でもあるという。性別は分からない。富豪界隈ではかなりの有名人らしいが、一般的にはあまり知られていない名前だ。
 そしてこれだけは間違いなく言えることなのだが、神無月は俺のリスナーだ。そうでもないとただの中学生を(例え配信活動をしていたとしても)こんなところに呼ぶはずがないからだ。
「食事会の後は、神無月様と二人でお過ごしいただきます。神無月様はプレゼントをご用意されています。その後、地球へ戻るポッドが発射されますので、それまでにお戻りください。以上となります。何か分からないことがあれば、いつでもお聞きくださいね」
 少し固い微笑みを浮かべた霜月は葉月に目をやり、二人は揃って礼をした。
 座席から立ち上がってみる。宇宙だけどふわふわと浮く感じはない。重力が科学の力で操作されているのだろう。霜月と葉月を引き連れて、俺は渡り廊下の役割を果たすチューブの中を歩み、開発ステーションへと足を踏み入れた。


 内部はまるで洗練されたショッピングモールのような光景が広がっていた。ところどころに木目調を配した感じが落ち着く。いい空間デザインだと感じた。
 階層が分かれていて、それぞれにマンションのように小部屋がある。エスカレーターとエレベーターで上下に移動ができる。ここが共同生活エリアだという。小部屋は一人一人に割り当てられており、そこで個人の生活を営むそうだ。
 ショッピングモールでいうところの催事エリアは広場として使われていて、小さな公園になっていた。動物の乗り物、ストレッチがてきるベンチ、小さな家庭用サイズの滑り台といったいかにも安全そうな遊具があり、植物も青々と育っている。太陽光などを人工的に調節しているからちゃんと育っているということだろうか。
「ここに人が住むようになるんですか」
 まだ接し方がよく分からないから、つい口をついて出た言葉なんですよ、ともとれる質問を彼らにしてみる。返事がかえってこなくても、いやこれは独り言だからと思い込めるように。
「将来的にはそうなる予定です。人はここで生まれ、死にのサイクルを回すことができるようになります」
 霜月が淡々と答えた。
「へえ、そうなんすね。他の星への移住までのさ、移動の間だけ使うのかと思ってた」
 これだけしっかりした造りなのだからなるほどといった感じがした。
 葉月が続いて言う。
「他の移住可能な惑星を見つけたところで、そこに住めるようになるには人類では何世代もかかってしまいます。そのための開発ステーションなのです。ほら、日本の軍艦島ってありますでしょう? ただの島に、炭鉱が盛んだった時代には何万もの人々が移り住んで暮らしていました。しかし資源を掘り尽くしてしまってからは、もぬけの殻です。無人島となってしまいましたよね。この開発ステーションもいずれそうなることでしょう」
 彼らしく、はきはきと若者らしい明るい口調で言った。
 軍艦島。廃墟ブームが来ていた時にその存在を知った。なら、この開発ステーションも何世代も経てばそういうすごい廃墟と化すのだろうか。宇宙で使われなくなったものは、やっぱ宇宙ごみ? とかいうものになってしまうのだろうか。
「宇宙開発には今のところ、それだけ長い年月を、必要とするのです」
 霜月が厳かに葉月に付け加えるように言った。
 共同生活エリアを探索してみる。トイレは安心のバリアフリーでジェンダーフリーの配慮済み。エレベーターはチューブ状で面白い形をしている。
 期待していた学校の教室のようなスペースはなく、代わりに音楽室や科学室、美術室みたいなものがあった。世代を問わず使えるということだろう。
 韓国のネットカフェみたいに最新機種のパソコンだけがずらりと並ぶ部屋もあった。あそこは寝ても覚めてもゲーム好きな俺の同僚たちにはうってつけだなと思った。
 今回中を見学させてもらう小部屋のキーを霜月から受け取り、入ってみる。
 中は驚いたことに、北欧のインテリアショップのルックブックのようにオシャレでなおかつ落ち着くワンルームの空間が広がっていた。上京する子がオシャレな部屋に憧れて北欧のインテリアショップに行くのだが、イメージ通りに買おうとすると高くついてしまうアレを思い出した。ここはそんなじゃないけど。一流のインテリアコーディネーターがデザインしたのだろうと一流ライバーの血が騒いだ。
 さて、俺は移動用ポッドにいた時の焦燥、不安をすべて忘れたように見学をのんびりと楽しんでしまっている。初めてきた場所なのに、なんだか落ち着くのだ。
 何が落ち着く要因なのかを考えてみる。照明が明るすぎないのがいいのだろうか。でもこれだけじゃない。俺が今座っているソファの布の感触だろうか。確かに革の素材が気持ちいい。でもこれだけじゃない。生活雑貨ショップのアロマディフューザーと同じ匂いがしているからだろうか。たしかこれはラベンダーだ。でもこれだけじゃない。
 おそらくだけど、何より、後ろに控えている霜月と葉月が存在感を消していてくれるのが心地いいのかもしれない。VIP待遇とはこんなに気持ちの良いものなのかと思った。このまま父親の後を継いで大人になったら毎日こんな生活なんだろうか。俺は大人にならないけど。
「じゃあ、そろそろ地球の皆に向けて配信しようと思うんですけど」
「機材はパーテーションで区切られたあちらの外が見えるスペースに設けてありますので、いつでもすぐに開始することができます」
 葉月が歯切れよく言った。
「え、ほんと助かります」
「ただし、先日お約束しましたように、数分のディレイをかけさせていただきます」
 霜月が硬い表情で低く言った。
「はい。分かってます。守秘義務……ですよね?」
「そのとおりでございます。こちらの配信機材はこちらで用意したものですので、リアルタイムな『制御』自体はできるのですが。念のためディレイをかけさせていただきます」
 『制御』とは検閲を意味しているとすんなり理解できた。当たり前だろう。
「了解です」


 宇宙空間から配信するVtuberおる?w【雑談】というタイトルで配信を開始した。
「聞こえてるかな……。っと。うぃーす。なんて言うか、卯月軍団地球外居住環境開発事業支部のご厚意で乗せてもらいました、地球外居住環境開発ステーションに、来てまーす。あはは、そんな支部はねぇ、ないよ。でもさ、すごくね? 言うだけじゃ分かんないと思うけどさ、すごいことなんだよ。うん。……あはははは」
「誕生日配信はね、明日やります。今日の、今の配信は、宇宙開発についての雑談配信となっておりまーす」
「……もっと人工的な機械むきだしって感じだと思ってたけど、意外とナチュラル系っていうか。……今ねえ、個人用の部屋いるんだけど、木の床なんだよね。本物かな? ……わかんねえけど。これは普通に居心地いいね。地球にいた時となんも変わんない感じするわ。ここではね、近所付き合いとかもないっぽいし、まあ一生引きこもって生活することも偏見なく誰でもできそうって感じかな、はは」
「タイトル釣りじゃないよ。今ほんとに宇宙いるからね。ちょっと待ってて写真載せるわ」
 俺は配信機材が置かれている大きな窓のあるスペースで、強化ガラス越しの地球の写真を撮った。配信ソフトにアップロードする。
「『反射大丈夫か?』って? 映ってないっしょ。開発ステーションの人にわざわざこの配信確認してもらってるし。それにね、俺がもしおかしなこと……というか言っちゃいけないことを口に出したら、ディレイ、遅延がかかってるから、お前らの元には編集された状態で届くってわけ。だから安心して杞憂していいよ」
「ネットで流行ってるよねえ。地球外移住ほんとにできんのかって。その件なんだけどさ、あれだよ。普通に実現しそうだわ。わくわくしてるもん。てか、ペットの臨床はだいぶ前に終わってるんだよな。……もちろん連れて行こうって話になったよ。地球で猫だけぼっちにさせるの可哀そうだし。『ペット用のポッドがあるらしい』、な! あのさぁ、海外の画像でさ、すっげえたぷんたぷんになっちゃったどデカいウサギを抱えてる親父とかいるけど、ちゃんと入るのかな? あ、大丈夫なんだ。あはははは」
 俺が大声を出して笑っていたその時、葉月が俺の隣に立っていた。気がつかなかった。いつの間に。一応ミュートにする。
「失礼します。神無月様との会食まで、あと二十分となりました」
「了解っす」
 もうそんなに時間が経っていたのか。どうせカットされるならと思って開発ステーションで見たこと聞いたこと丸々話してたんだけどな。それで時間を食ってしまったか。
「あ、すまんみんな、ミュートになってた。地球外居住環境開発事業支部のとある方から連絡きてました、はい。今回の配信ですね、名前出して……いや、やめとこ。その……とあるリスナーのAさんが事務所通してさ、開発ステーション来てくれませんかって誘ってくれたやつなんだけども。『A誰だ』、ごめんな、Aとしか言えないんだけども! ……やっぱ、すごくね? 普段の配信見てくれてるリスナーの中に、こういう凄いことやってる人がいるって事、普段は忘れそうになるけど……やっぱ、いるんだ……ってなってる。すごいよ開発ステーション。うん。ありがたいね。だからちゃんと配信しようって。元気になったわ。うん! おい、いいこと言ったそばからコメント『うんち!w』で埋めるな埋めるな……。じゃあ、そろそろ配信終わろうかな!? 今日はね、ちょっと今、呼ばれてるのでオチも何もないけど、終わりまーす、はーい」


 配信を終えてすぐ、用意された服に着替える。あらゆる服が揃っているクローゼットルームに通された。俺に用意されたのは、ディナーにふさわしい、ネクタイ付きの服。色合いがなんとなく好みと一致していた。それが不思議だった。この服を選んだ人は相当俺のことを理解しているのだと思わせるほどの何かがあった。
 ディナーは卯月家のように長いテーブルでするのかと思っていたが、通された部屋は英国の伝統的な中流階級の家庭みたいなこじんまりとした普通の部屋だった。窓から宇宙、白い点が無数に集まっているような星空が見える。カーテンの模様がボタニカルでいかにも英国らしい。ファブリックも刺繍が施されていたりして、優しい雰囲気がした。
 俺を食卓の席に座らせた霜月と葉月が「そのままお待ちください」というのにもかかわらず、俺はキョロキョロとしながら辺りを歩き回っていた。ここの部屋には水槽があって、熱帯魚が泳いでいる。廊下に出てみると、食事する空間は何部屋もある。バーカウンターのある部屋にはすごい種類の酒の瓶が並ぶ。歩いてみたら、向こうには堀りごたつのある和風空間やファミレスの席のような空間もあるのだと分かった。要は、これだけバリエーションに富んでいて選べる豊かさがありますよってことか。
 そんなことをしていたら、霜月と葉月によく似た容姿の美形の男を連れて一人がこちらへゆっくりと向かってきた。ストリートファッションのめっちゃ高くてカッコいいお店に行くと置いてあるような、ビッグシルエットの未来的な白いダウンコートを着ている。中はスーツで着るようなシンプルなシャツと黒いパンツだ。身長は俺と同じくらいだけど、ヒールのあるブーツを履いているから実際のところは分からない。髪は黒髪マッシュで目が見えないぐらい重たい前髪が伸びている。
 あわてて席に座って待ってみる。いつの間にか俺の近くに霜月と葉月がいた。葉月が身をかがめて、「無理に挨拶する必要性はありませんよ、自然体で大丈夫とおっしゃっておいでです」と静かに告げた。
 神無月は俺の目の前の椅子に座り、男性とも女性ともつかない中性的な声色でこう言った。
「卯月コウさん。ようこそ開発ステーションへ。ここの最高責任者、神無月と申します」
 話し方からは若さを感じさせる。最高責任者ということは、恐らく大富豪だからその金でここを買い取ったのか、もしくは技術者としてここを設計したかのどちらかだろうと思った。
「卯月コウでーす。神無月さん、今日はどうも、お招きいただき……」
「さっきの配信、見てましたよ。面白かったです。私の作ったものを、そう言ってくださるなんて。嬉しい。あの、和・洋・中なら、どれにします?」
 私の作ったもの、ということは、ここの空間は神無月が技術者として作ったものということだろう。
「じゃあ、中華を……」
「点心はお好きですか? 主菜とスープはないけど、小籠包とか餃子とかがたくさんのやつ」
「あー、好きですね」
「じゃあそうしましょう」
 今のでオーダーできたみたいで、数分後には熱々の肉まん、あんまん、桃まん、春巻き、餃子、小籠包、ごま団子、タピオカ、月餅、愛玉子……といった中華料理らしい中華料理がテーブルを埋め尽くした。
 二人で口にする。
 今まで食べたことがないくらいおいしい。ごはんは味付けが程よくて、路地を少し行ったところにある隠れ家的食堂で食べられるような代物だなと思った。デザートは見た目が華やかで、味も申し分なく美味かった。
 皿はどれもすぐ空になった。次々に次の皿が来るけれど、それも全部食べ尽くしてしまった。それくらいおいしい。
 特に最後に食べた冰粉(ビンフェン)というデザートは初めて食べたがかなり印象に残った。小さな薔薇のつぼみが沢山浮いていて、底から掬うとプルプル、ちゅるん、という食感のゼリーみたいなものが口に入る。美味しいんだけど何でできているか気になった。すると神無月が「白キクラゲでできているんですよ」とすぐさま教えてくれた。神無月の好物なのだろうか。聞かなかったのでわからなかった。
 食事に夢中で、会話も特に振られず、神無月の正体についてはあまり関心が向かなくなっていたころ。そろそろお腹もいっぱいになったことを伝えると、次からの皿は自然ともう来なくなってしまった。
 二人で食事を終えた。クローゼットルームへ向かいもとの服へ着替えてまた再会した。
「では、私からのプレゼント。着いてきてください」
 神無月に導かれてショッピングモールみたいな共同生活エリアの、チューブ型エレベーターへ乗り込んだ。霜月と葉月、そして名前も知らない(だが恐らく月の名前がついている)神無月の付き人も一緒だけど、それほど圧迫感がないのは彼らが存在感を消す能力に長けているからだろうと思った。
 神無月の持つキーを差すと、自動でエレベーターは目的地まで上昇していく。
「今から向かうのは、最新鋭の望遠鏡の映像が見られる部屋です。コウさんにはなんでも好きな天体を見せてあげますよ。お好みじゃなかったら、また共同生活エリアへ戻って好きなだけサービスを楽しんでいっていただきます。お風呂とか、マッサージとか、VRライブ会場とか……牛丼屋もあるんですよ」
「あー、星、見たいっすね。詳しくないから一つしか分かんないけど」
 エレベーターは上昇していく。
「星を選ぶの、素敵ですね」
「ありがとう」
 エレベーターが停止した。
 手術室のように緑色にペインティングされた廊下を歩む。その向こうに、望遠鏡の部屋はあった。モニタがいくつも並んでいる。ドーム型の天井には天使が描かれている。
「これでどんなに遠くの星も見ることができます。最新鋭の望遠鏡を揃えていますから、言ってくださればどんな星でもお見せできますよ。現在、物理的に不可能な場合は別日に撮影した画像をお送りいたします」
「遠くの星は別にいいんだ」
「どういうことですか? ああ、地球の衛星写真ならいくらでも……」
「月が、見たい」
「……月」
「月の裏側が、見てみたい」
 月はその裏面を地球に住む生き物に見せてこなかった。それは地球の自転周期と月の公転・自転周期が重なったことによるミステリーである。未だ地球に住む人類では見えないはずのその裏側を写真や映像なんかじゃなく、直接見てみたいというのが俺の望みだった。
「分かりました。少しやり方を変えましょう。文月、あの望遠鏡の準備を」
「かしこまりました」
 そんなに待たないうちに、ドーム型の天井は天文台のように開いていき、俺の目の前には覗く用のレンズがどこからか伸びてきて、それは俺の身長に合わせて固定された。
「場所・ピントは月の裏側にセットしてあります。座標を合わせた証拠が欲しい場合は言ってくださいね。五秒も経たずともデータを提出できますから。見えづらいときはレンズについてるダイヤルを回してくださいね」
 俺が覗くと、真っ暗な中でかすかに月の裏側が見えた。ネットで見た通り、クレーターは表よりも少ない。適当にダイヤルを回してみる。するとそこに、一瞬ぼやけた何かが映った。月の裏側には何もないはずじゃなかったのか……? 一度目を離す。
「どうですか? 暗いでしょうね」
「何かが映ってるんですけど、よく分からなくて……」
「なるほど。こちらで調整しますね。……これで、どう見えてますか?」
 ピントを合わせてもらうとそこには……人間がいた。しかも、よく見知った顔。宇宙服も着ないで、いつもの姿のままで。
 月ノ美兎と、剣持刀也。卯月コウの同僚。面白くていい先輩達である。あるいは視聴者からコウへの重い期待の要因でもある。特に剣持から始まった男性Vへ過剰に面白さを期待する流れが自分にも来ていると感じたあの瞬間は、誇らしくもあり、また重荷に感じた部分でもあった。
 そんなことを考えていたら、レンズの向こうの剣持刀也は頭がぐにゃぐにゃと変形し始めた。まるで委員長の百物語配信のオチみたいに。少し経つとまた元通りになった。
 純粋に、きっも、と思い、卯月コウはレンズを目から離した。
「すごいものが映っていたみたいですね。私も確認しました。どうでしたか」
「月にはうさぎがちゃんといた。それだけです」
「そうですね」


 月の裏側を観てから、また再び共同生活エリアへ戻り、カフェのような施設で俺たちは紅茶をたしなんでいた。
「……委員長と剣持くんが映りこんでたの、どういうことなんすか、あれ」
「宇宙ではたまにあるんですよ。ほら、新しいバーチャルリアリティーのシステムが開発されてから、次元の壁が前より薄くなってしまったみたいで。たぶんコウさんが目にしたのは、そうした最新鋭のVRゲームをプレイ中の月ノ美兎さんと剣持刀也さんの残像、影みたいなものなんですよ」
 最新鋭といえば、新しいVR技術の発展も宇宙開発に負けないくらいすごいのだった。これはVの配信に革命がおこる前夜だな、というレベルの、とあるゲームの技術が他国で開発されたのだ。そういえば、それをテスト体験する配信を委員長がやりたいって言ってたっけ。それでか。
「なんか申し訳ないけど、技術のことは俺よく分かんないっすね。文系なんで……中学生だけど。もう科学、魔法と見分けつかないじゃんってなってます、俺」
「はは、なんだかんだ私もです。文系出身ですしね、大学は高三の秋あたりから美大目指してましたし、正直、技術のことはからきしのところからスタートなんですよ。私が成功したのは間違いなく周りのおかげです」
「へえ」
 こういう人を天才と呼ぶのだろうとぼんやり思った。
「昔と比べるとすっかり技術が発達しすぎて、エンジニアも自分たちが何をやっているのか段々分からなくなってきている中での技術革新の連続ですからね」
「そりゃあ次元の壁も薄くなるかあ」
「発展しすぎてもう、文学めいた言い方でくるむことしかできませんからね」
 俺は紅茶を口に含んだ。飲みなれてるからきっとアールグレイだ。
「神無月、そろそろお前についての俺の見解を述べておく必要があると思う」
 俺はいきなりそう切り出した。心臓が強く鼓動を打っている。
「何でしょう」
 神無月は小さく笑った。
「お前すっごく俺のこと好きなのな。卯月軍団、リスナーで。たぶんあれだろ? メンバーシップ入っててさ、グッズとかも集めてくれてるくらいのファンでさ。俺の好きなものとか全部把握しててさ。食事の時のあの服すっげー好きだったよ。後でブランド教えてほしい。点心も食事の量を自分でコントロールできるから、宇宙環境にまだ慣れてない俺にはぴったりだった。付き人の名前が旧暦の月の名前なのは……どうだろう。ま、それは考えすぎなのかもしれないな。神無月、俺を推してくれてありがとう。でもお前が……ただ一つ他のファンと違うのは、お前はリアルで他に類を見ないほどすげえリッチでハイスペックな人間だっていうこと。だから推しである俺と一対一で過ごすワンデープランだって練ることができる」
「……ずるいと思いますか」
 しゅんとした顔になった神無月は、大富豪で、技術者で、作家といった特別な存在じゃなく、ごく普通のどこにでもいるような人に見えた。
「ずるいって、最初は思ったよ。でもさ、ちょっと話は逸れるけど、神無月っていうの、本名じゃないんだってな。ずっと昔に作ったネットのスクリーンネームらしいじゃん。わりぃ、富豪界隈で情報調べさせてもらったよ」
「ええ、構いません」
「お前が、中性的に無機的に振舞っている所とか、完全匿名であろうとしているところとかから、勝手に俺が推測したことだけれども。お前は、こうして一対一で俺と話してる時ですら、個人としてではなく、いちリスナーとして、『卯月軍団地球外居住環境開発支部』でいようとしてくれてるんだなって。そう思ったよ。リスナーの域を出ないように頑張ってくれてるのな。ここまで、ほんと推測でしかないんだけどさ。きっと、たくさん考えたんだろうなって思ったよ。いい時間だった。ありがとう。……そして、そろそろ時間だし行こうと思う。じゃあな」
 神無月は何も言わなかった。返事を待たずに俺はあと少しで発射されるポッドへと足を速めた。
 神無月は何も言わずに、別れの挨拶すら言わずに、俺をただ見守っていた。それが答えだと分かるくらいには、俺は大人に近い子どもだった。

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