遠い未来、悠久の時を生きるギル様がいつものように配信を多窓していたら、そこにいるはずのないかつての同僚剣持を見つけるという話です。
バーチャルYouTuber にじさんじ
ギルザレンⅢ世 剣持刀也
空気中に映像を映し出すテクノロジーが開発されたのは何百年前だったか。おかげで今のギルザレン三世は三百窓以上を同時に視聴することができている。
「配信の拡張機能もさすがに開発されきった感はありますねえ。もはや何もしなくても自動的に見たいものにたどり着けてしまいますよ。まったく便利になったもんです。はあ」
ぬるくなったバーチャルブラッドをすする。何度フレーバーが改良されようと、キツい甘さが脳髄にビリリとくる感じは変わらない。
彼のかつての同僚達が配信を半永久的に休むようになったのは、デビューして数十年も経たないうちだ。キャラクターとしてはネット上に存在していても、ひっそりと活動は停止するのが「お決まり」と化していた。仕方のないことだ。もともと人間には寿命がある。彼からすると刹那的にも思える人生を全うすべく、同僚たちは新たな活動を自分で見つけ出し、夢を叶えていったのだ。それももう、九百年も前のことではあるが。記憶はおぼろげで、日々の目新しい楽しさに思い出が掻き消されていく。
「おすすめ機能が充実するようになったからこそ、あえて自分で探しに行くことに意味があるような気はしますがね……」
千年前とは違って、ずいぶん分かりにくい所に配置された検索フォームに、ギルザレン三世は昔ながらの物理キーボードを使って「にじさんじ」と打ち込んだ。現在はテクノロジーが一般にもオープンで公開されており、希望すればすぐ誰でもにじさんじとしてデビューすることができる。まさに、全人類にじさんじの時代が到来したのである。
この時代、わざわざ「にじさんじ」を名乗る者はいない。ギルザレンが旧世代的な検索機能を使ってそのワードを打ち込むのはつまり、過去への回顧を意味する。ギルザレンの同期が活躍していたころのアーカイブを数百窓のうちの一つとしていつも流しておくのが常だった。
「むぎたま二十五周年記念配信、あーこれこれ。二期生皆でお祝いメッセージを送ったんでしたっけ。何かと集まらない二期生でしたがこういうときは揃ったんですよねえ」
「物述くんが国際機関から表彰を受けた直後の雑談も良かったなあ。いつのまにか世界中の言葉を身につけてて……。いやあすごかったな」
「おはガクは本当に長く続いたコンテンツでしたねえ。また突然再開しないかな」
アーカイブを見ながら、人間の温かみが感じられる配信の良さを噛みしめる。それは今も昔も変わらない。
ギルザレンはにじさんじのアカウントで今でもたまに新人にコメントを打つ。「あ! ギルザレンさんいた? えーっと、は、配信しろ!」と嬉しそうな感じで返ってくると、つい口の端が上がってしまう。
数か月に一度から、数年に一度、数十年に一度、と配信頻度は落ち着いていって、人間たちの中にはギルザレンの配信を見ることがなかった世代というのも一時期生まれてしまったらしい。前回は十年前だっけ。そろそろ計画しようか。はあ。
ギルザレンが自分のチャンネルを別窓で開こうとすると、新たに配信の始まる通知が鳴った。誰の通知をオンにしていただろうか。拡張機能で自動的に窓が開き、配信画面が数百個のうちの一つとして表示される。
静止画だ。今どき待機画面なんて珍しい。でも、この画面、確か……。ギルザレンは窓を拡大した。
「これは、剣持刀也……? なりきり? ん?」
チャンネルは明らかに公式のものだ。確認したら、今までの配信アーカイブも残っているし。でも、剣持刀也は九百年前に活動を「休止」してあるはずで、どうして?
数分間待機画面が続き、コメント欄が困惑してきたところで画面が切り替わった。
「はい、お久しぶり、とでも言ったらいいんでしょうか。剣持刀也です」
今では少数派となってしまった2Dの姿で、剣持刀也は現れた。ギルザレンが何度もアーカイブで見た、いつもおなじみの画面配置だ。
「初めまして、の方が大半ですよね。当たり前だ。にじさんじ二期生出身の、剣持刀也です。わ、コメント欄でなりきり、偽者って言われてますよ、あはは。僕のなりきりいるんですか。今ってもう西暦三千年超してるでしょ。詳しくはわかんないけど。さっき起きたところなんで。この時代、僕ってどんな扱いなんだろ。古典? そんな偉くもないか。僕はいちおう、本物ですよー」
だいぶ声質はデビューしたてと比べて落ち着いているが、物腰の柔らかさと調子の良さはあの頃と変わらない。
ただ彼は、もう「いない」はずで。なぜこうして話しているのだろう。ギルザレンは何かを忘れているような気がした。記憶に鍵がかかっているような感じがして、なかなか思い出すことができなかった。
「こう時間が経つと、人間って結構変わっちゃうんじゃないかと思ってたんですけど、さっき配信いくつか見た限りだと、そんな違いないみたいですね。やっぱり配信は楽しい! あったかい感じのする配信は、やっぱいいですよね、うん。この時代のトレンドとかは僕ぜんっぜんまだ分からないですけど。これから学んでいけたらなと思います。おじいちゃんコメめっちゃあるな! ふふ、その通りなんだよなあ」
コメント欄はそんなに荒れていなかった。今の時代、これはよくあることだったのかもしれないとギルザレンはおぼろげに思った。配信を見すぎて、かえって感覚が麻痺しているのだろうか。何も分からなかった。
「『古代人か?』、そうですよー。でも僕本当にさっき目覚めたばっかなんで、記憶や知識が九百……年くらい前で止まってて。技術の進歩って本当にすごいですよね。『古参アピ乙』、うるせえ~! お前、昔リスナーだったろ!? 初見でそんなコメントしないもん!」
楽しそうに話すかつての同僚を見ているうちに、彼は九百年前の技術革命のことを少しずつ思い出してきた。
ちょうど最初期のにじさんじライバーが活動を休止しはじめる時期、世界中で科学が大きく進歩した。それにより人間社会は不死を実現した。完全なる不死ではなく、肉体の一部を摘出して精神だけを残す技術ではあるが。人は希望すれば誰でも、肉体を捨てて精神をデータに移し半永久的に生きることが可能となった。データと化した人間は、生前の音声などを揃えればネット上で「復活」できる。キャラクターとして配信をすることも、視聴してコメントをすることもできるというわけだ。だが、バーチャルでしか存在しない命はどこまで人間と言えるだろう。
鍵が開いた感覚がした。ギルザレン三世は悟った。自分はとっくに「人間」ではないということを。何千年もの間、生きているのは。眠ることなく、数百窓の情報を処理できているのは。自分の精神が肉体を捨てている証だ。それはいつから? 自分は吸血鬼だったんじゃないのか? 果たして、どこまでが「設定」だった? もう何も思い出すことはできなかった。
「『二期生って今いる配信者だとだれ?』、あーそうですね。曖昧なこと言えないですけど、さっきある配信者さんのコメントで見かけたのはギル様かな。もっと他にいても全然おかしくないんですけど。あんまり言うのは良くないかな。そうです、悠久の時を生きてるはずの吸血鬼、ギルザレン三世が同期です。おい見てるかギルザレン! これからは僕も配信するからな! あんたの千年分のアーカイブの量、一瞬で僕が追い抜いてやるよ!」
歓迎しよう。かつて人間だったものよ。
バーチャルブラッドで満たされた水槽の中に浮かぶ「かつてギルザレン三世を形成していたもの」は、簡素な電気信号を発信した。
「草」
fin.