剣持刀也と月ノ美兎が一緒にご飯に行って話をします。
バーチャルYouTuber にじさんじ
剣持刀也 月ノ美兎
剣持刀也がにじさんじアプリに発生した致命的なバグを知ったのは、マネージャーからの連絡が入ってからだった。
バグの内容は、ライバーのうち、剣持刀也にだけ適用できないアップデートがかかり、剣持刀也の全データがアプリから消えてしまった、というものである。
もともと配信頻度もそんなに高くない刀也は、それに気づくのが遅れてしまい、修正には少し時間を要するのだそうだ。
「それにしても、こんな僕にだけ適用されるバグってあるか?」
自室で独り言を漏らすも、それは誰に届くこともなく空中で消える。最近は友達と夜まで遊んだり、勉強したりといい意味で忙しく、充実していたため配信のことが頭から抜けていた。
今日は前の配信からちょうど二週間。以前から予定していた配信を中止する旨をツイートしたところで、私用のスマホに着信を知らせる長めのSEが鳴る。
相手は刀也の先輩ライバー、月ノ美兎だった。
メッセージではなく通話とは何事か、と首をかしげつつ、耳元にスピーカーを当てる。
内容を聞いて、刀也は文字通り開いた口が塞がらなかった。
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月ノ美兎が剣持刀也を誘ったのは、都内某所の小さな個人経営の居酒屋だった。
ここでは月に何度か、指定された服装で行くと全品割引になる日があるという。月ノ美兎はその目新しいシステムに興味津々で、店の存在を知ったその日のうちに剣持刀也に声をかけた。
刀也もそういうサービスは初めて知ったが、少し怪しげな気もしたため着いていくほうがいいだろうと判断した。
そういうわけで、今日の割引の対象であるミニスカートを身に着けた美兎はテーブル席に腰かける。割引対象の服装の中に、男性が着用できそうなアイテムはなかったため、刀也の服装は普段と変わらない落ち着いたものだ。向かいに座ろうとしたが、安全を考慮して月ノ美兎の隣に座らせてもらう。
店の違和感に気付いたのは刀也が早かった。周りのテーブルの会話が明らかに、その、なんというか、ナンパっぽい。服装の指定の意味を理解して、美兎にそれとなく伝える。
「っぱ、そーだよなあ。この店友達が教えてくれたんだけど……ごめんね」
「や、大丈夫です。まだ料理来てないですけど、出ますか」
「モツは食べてからでもいい? 美味しいらしいんだよね」
「……あのさあ」
「隣に男座ってんのに話しかけてくる人なんていないでしょ」
刀也はお冷を口に含んで動揺を誤魔化した。
それからほどなくして運ばれてきたモツ煮込みをたいらげた美兎は、店の様子などを軽くメモした。注文した唐揚げが思っていたより少なくて、剣持刀也はすぐに食べ終えて暇を持て余した。二人は会計を済ませ、早々に店を出た。後でレシートを見たら割引はされていなかった。
▽
「配信でこのこと話すんですか」
これで終わるのも何だということで、二人で事務所へ行った。
今日は朝までスタジオを使った配信をするライバーがいるらしく、遅い時間ではあるが事務所は空いていた。月ノ美兎は空いた部屋を借りて、打ち合わせ中、とドアの外のホワイトボードに書き、椅子に座る剣持刀也をクッションにうずまって見上げていた。
「これじゃあ雑談のネタには使えないかなー。まさかいたって普通のナンパ場だとはなー。モツも普通においしいだけだったし」
「分かってたんでしょう。どうせボツになるって。どうしてわざわざあんなとこ行ったんです」
少々語気を強めて剣持刀也は言った。
「委員長らしくないです」
一風変わった体験を面白おかしく話すのが人気の、月ノ美兎はただ危険なだけのことはしない。後輩である以前にファンの一人でもあった剣持刀也には、今日の危険すぎる行動の意味が理解できなかった。
「だって、そうでもしないと剣持さん来てくれないでしょう」
大人っぽく笑う美兎に、刀也は眉を八の字にした。
「わがままじゃん」
つまり、あえて男がいないと危険な場所を選ぶことで刀也を無理にでも誘い出した、と。
なんて不器用な人なんだ。直接話をしたいと言えばいいのに。刀也はあきれてしまった。だが、自分だって、ただ誘われただけだったら断っていたな、と考えると一本取られた気になった。
「最近は剣持さん、にじさんじの人と距離置いてるみたいじゃないですか。みんな言ってますよ。誰が誘っても忙しいって言われて断られちゃうって。それに、前と比べて配信頻度も減ってますよね」
「それは、受験勉強が……」
「うん。頭では分かってる。受験……だもんね。剣持さん努力家じゃないですか。だから邪魔したくないって思ってて。それはみんな同じ。でも、今日、バグあって配信できなくなってたでしょ。それもあって、考えちゃった。このままだと、いつか、わたくしが気づかないうちに、剣持刀也に会えなくなってるんじゃないかって」
バーチャルライバーは、にじさんじアプリを通さなければキャラクターとして画面に出ることはできない。確かにバッテリーが切れた時や大人数のコラボの時に「立ち絵」を使うことはままあるものの、バーチャルキャラクターとして活動するからには、やっぱりアプリを使った活動でないと、という部分はある。
バグとはいえ、剣持刀也がアプリから消えたと聞いたとき美兎はゾッとした。それはバーチャルの世界での死を意味する。
このことを受けた剣持刀也の対処は、美兎が確認する限りでは、今後予定していた配信を全て中止することだけだった。
それがどうしようもなく寂しかった。本当に、この世から、剣持刀也がいなくなってしまった。そんな気がした。
「身も蓋もないこと言うようですけど、僕が剣持刀也でなくなる日はいつか必ず訪れますよ。でも、この世からいなくなるわけじゃないので。……生まれ変わったら、また僕を探してください」
そして、月ノ美兎に出会えて僕は幸せだと思いましたよ、と続けた。
美兎はクッションから身を起こした。つかつかと剣持刀也の目の前に進み出る。小柄な彼女も、椅子に座る刀也のことは見下ろすことができる。
「はあ?」
美兎は腰に手を当てて相手を指さす。
「あたしが会いたいのはあんたじゃなくて剣持刀也だっつうの」
その声はうるんでいた。
大粒の涙はひとりでに止まることはない。手で拭っても拭っても、こぼれ落ちていく。
美兎の出会った人々の中で、剣持刀也は特別な存在だった。自分に憧れて同僚になったライバーは多いけれど、その中でバケモノみたいだったのは彼だけだった。
「……わかりました。今からここで僕、配信します」
「え?」
「もうすぐ日付が変わります。あと一時間で、いつもの僕の配信時間だ」
そう言って鞄からポケットティッシュを取り出し、美兎に渡す。
「いや、今日のことなんて何も話せないでしょ!? バグもあるしどうすんの?」
「心配しないでください。僕は剣持刀也です。絶対面白くしてみせます」
「……あんたバケモノだよ」
「その代わり、朝になるまで隣にいてください。今から終電もないし、帰れないでしょう」
わがままだな、と美兎は思った。
そして外へ出るついでに、部屋の外のホワイトボードを「配信中」に書き換えた。
(終)