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suidosuiの小説まとめです (NSFWはここにありません)

なあ、そこに、剣持はいてくれるの

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なあ、そこに、剣持はいてくれるの

保健室登校の椎名と優等生の剣持の話です。
少し重い表現があるので、注意してください。
公式準拠の仲良し度で書いたつもりなので、CPではないかなと思います。
事前にツイッターでアンケートをとって、票の多かった順に書く個人的な取り組みです。
今回は「もちもち学パロ」でした。

バーチャルYouTuber にじさんじ
剣持刀也 椎名唯華

タイトル「なあ、そこに、剣持はいてくれるの?」
 終業式が執り行われる体育館。ステージを照らすライトだけが差し込む裏方で、椎名唯華は簡易的に用意されたパイプ椅子に座っていた。けだるそうな横目で同じように並んで座る知らない男子のことを眺める。彼はときおり制服の胸ポケットからレポート用紙みたいな紙切れの束を取り出して、それを見ずに空中を視界に捉え、口をパクパクとさせながら目を上下左右に回している。事情は知らないが、とにかく滑稽だ。鏡を渡してやりたいくらい。
 校長のつまらないスピーチが終わり、生活指導が読み上げられる。そして司会はすこし間をおいて、こう言った。
「では、今年度の模範生として、皆勤賞を受賞、成績も通年で最優秀、剣道部での実績も残した、一年一組、剣持刀也さん。皆さんの模範となるよう、今年一年を振り返ったスピーチをお願いします」
「はい」
 それを聞いて椎名は、こいつは一年だったんか、とだけ思った。クラスが違うから分からなかった。豪華絢爛な実績には全く興味がわかない。
 パイプ椅子から立った剣持刀也は王冠でも被ってるみたいに堂々とステージの中央に進み、胸ポケットから紙束を取り出す。そして、マイクの電源を確認するよう小さく「あ、」とだけ言った。
 偉くでもなったつもりかよ。椎名は思った。毎日登校できたら偉いのか。良い成績とって、部活やってりゃふんぞりかえってもいいってのか。ただの調整にすぎないはずの小さな「あ、」が、ステージ裏で冷たいパイプ椅子に座ることしかできない椎名にとって、妙に癇に障ってしょうがない。
 剣持は紙を広げ、前を向いた。
「桜のつぼみが……」
 ありきたりな出だし。さっき校長が言ってたことと少し似てるような気もする。それくらい、平凡だ。それくらい、誰だって書けるし、読める。
 でも、彼を観察していた椎名には少し気になることがあった。それは彼、つまり壇上でスピーチする剣持の目が、一度も紙束に目を落としていないことだった。
 ただの暗記? そんなアピールが何になる? 
 さらに気になったのは彼の言葉。ありきたりなようでいて、どこか何か無視できないものが潜んでいて、これが椎名を聞きいる態勢にさせた。
 これは、偉くなったつもりの人間がやるつまんないスピーチなんかじゃない。「自分の言葉」で、話をしている。語りかけている。今まで一度だってこういうのを真剣に聞いてこなかった椎名にも、それは分かった。
 剣持が紙をめくり、別の話題へと転換するのが見えた。椎名はカーディガンのそでを無意識のうちに握った。
「今年度、私が後悔していることといえば、数え切れないほどありますが、何と言いますか、私の居心地の良い場に甘んじてしまい、その輪の外側の他者を見落としていたことです」
 居心地の良い場所があるだけいいじゃないか。贅沢言うな。そんなこと言って、この終業式が終わったらいつもの仲間と一緒にカラオケ行ったりゲーセン行ったりするんだろ。そして再来週には、剣持刀也は二年生になる。
 あたしは、椎名唯華は、まだ二年になれないのに。
 頭の前の方に感じる重苦しい不快を無理やり「吐き気」と換言し、傍にいる名前も知らない先生に伝え、その後のスピーチを聞くことなく、椎名唯華は体育館を出た。
 剣持刀也は非力なわけではない。走るのは速い。柔軟性もある方だと思う。持久力だって学年で比べればきっと一番くらいにあるはずだ。それは小さい頃からそうだった。たくさんの習い事をさせてもらえる環境というのは何だかんだ恵まれていて、それゆえに体力にコンプレックスを持つこともそうそうない人生を送ってきたつもりだ。でも、怪我だけは昔から多かった。ハンカチ、ちり紙、ばんそうこうの順に朝の支度をするのは小学生のころから変わらない。
 そういうわけでわりと保健室にはお世話になっている。剣道部がかなり厳しくて、ばんそうこうだけでは処置できないくらいの怪我をすることも多いので、消毒液や大きめの包帯なんかはここ頼りだ。処置は自分でやったほうが早いし慣れているから、まだまだ新任の養護教諭には器具を取り出すお願いだけをいつもしている。
 今日も放課後、紫色の打撲あとを制服で隠しながら保健室へ借りに来たのだが、入るドアに掲げられたホワイトボードには「一時的に席を外しています」とだけあった。
 鍵は開いている。勝手に入っても、どうせいいだろう。
 引き戸を開けて陽光が差し込む保健室へ足を踏み入れる。勝手に器具を借りるのはちょっと憚られるが……。
 自分の持っている救急セットでなんとか手当てできないものか、と思い立つ。入るドアから直には見えないようパーテーションで区切られた窓際の空間に腰かけようとそちらへ向かう。生徒からの相談なんかはここで話を聞いたりするらしい。小さなソファやテーブルなんかもあって、透明なデスクマットの下には思春期の少年少女の健康についてのパンフレットが挟み込まれていた。
 そこには、先客がいた。たぶん女子だ。ソファにもたれて居眠りしている。窓から差し込む柔らかな光が、色素の薄い髪を透過する。小さく開いた口が静かな呼吸音を立てる。
「ん、あ、すいやせん、え?」
 物音で起こしてしまったみたいだ。よく見ると、他校の人みたいに見える。制服をかなり着崩していて、スカートは全く違うデザインのチェック模様だ。それに、校則で許可されていないゆるすぎるカーディガンを羽織っている。シャツもなんだか襟元のデザインが違うから、本当に、他校の人だろうか。
「起こしてしまったみたいで、すみません」
「気にすんなー。あ、スピーチしてた人や」
 スピーチ、とは、先月の終業式でやらされたアレのことだろうか。じゃあ、ここの生徒だ。
「そうですよ」
「保健室に、何しに来たん、デスカ?」
 無理して敬語に直しているのが分かる。
「部活で怪我しちゃって。手当ての器具を借りたいんだけど、今保健室の先生いないみたいだし、どうしようかなって思ってるんです」
「怪我! 痛くない? どうした?」
「全然。ただの打撲ですよ。制服で今は隠してるんです」
「なんで隠すの。部活で怪我して、制服、え?」
「見た目だけは重症そうだから、ですかね。変に心配されたくないし、部活の練習着で校内歩くと誰だって目立つでしょう。剣道部だから、道着なんです」
「それでわざわざ着替えるんデスか……」
 確かに、自分でも変な感じがする。でも自分はいじられキャラだから、なんか変わった特徴を抱えて校内を闊歩するのは余計に憚られる。そういうのにいちいちつっかかってくる友達というのは一定数いる。これは変えようがないことだから。
「敬語とれたりつけたり、面白いデスネ」
 ……なんて、話題を変えてみようといじってみる。この女の子はどういう人なんだろう。年上? 同級生?
「ふふ。……知ってると思うけど、あたし留年しててさ、たぶんあんたと同い年やで。今年も一年四組の、椎名唯華」
 この学校はおおまかに成績順で一年生のクラス分けをする。四組はビリだ。
 留年なんて、先生の脅しだと思っていた。まず剣持はびっくりしてしまって、本当にこういうことあるんだ、としか思えなかった。
「ああ、そうなん……ですか。だ?」
 まだ慣れず、剣持の方も敬語がとれたりつけたり、だ。
「あはは、敬語使わんでええよ? うちはどっちでもいいけどな」
 へらへらとした彼女は白く透き通った肌質の頬をゆるませて笑う。剣持もへらへらした頷きで応える。
「あたし見ての通り、保健室登校なんだよねー。人いてびっくりしたやろ?」
「そういえば去年も後期くらいから、保健室が『空室』になってるのあんまり見たことなくて。誰かいるのかなって察してはいましたけど……あ、さっきから、なんか、不躾でごめんなさい!」
「んなことで気にすんな〜! さっきからのやりとり、何も気にしてないよ。これはほんとう。あはは、真面目なやつ。あそこでスピーチまでしてんだから、当然やな。真面目の一番やもん! 名前は?」
「剣持刀也、二年一組。ま、あの、あれは……」
「どした?」
「先生に渡されてた読まなきゃいけないスピーチの原稿、当日になって持ってくるの忘れてて、朝教室で友達からレポート用紙をもらって、ほんと、白紙を見ながら適当に喋っただけで、その……とにかくあれ思い出すのちょっと恥ずかしいんですよね。たぶん後半はかなりでたらめなこと言ってたんじゃないかな?」
 先生に怒られなかったのは、たぶん叱る文言を考えるのがあちらも面倒だったからだろう。つまり、「模範生」剣持のちょっとしたお遊びごときにいちいち怒ってられない、というわけだ。
 椎名は気が遠くなった。即興であんなに喋るなんて。しかも、全校生徒の前で。留年して気まずくなって、保健室の先生に言われるがままにステージの陰にしかいられなかった自分とは正反対だ。
「すごいっつうか、やばいな? 普通に喋ってるようにしか聞こえんかったもん」
「いやいや、そんな」
 剣持は謙遜というか、本気で恥ずかしがっていて、椎名はもうちょっといじってみたくなってしまった。
「褒めたついでに、お願いあるんやけど……」
 こういう人か。保健室登校と聞いたときは内気な感じなのかと思っていたけど、実際はへらへらしてて、人に頼ったりお願いすることにためらいがない。
 でも、悪気は感じないというか。なんとなく、許してしまいそうになる。
「ここで自習してんだけど、この問題から後、ぜんぶ分かんなくて」
「数学?」
「うん。去年もやったけどさ、分からんわ、こんなん。怪我、痛くなければ教えてくれん?」
 窓際のソファは、座った人みんなから窓が見えるような方向でコの字型に配されていて、ちょうど剣持と椎名はL字型に座る。
「問題ちょっと見せて。一年の一番最初なら、たすきがけ……?」
「ああぁっ、はいその通りです、その、ばってんの、たすきのやつ! ほんま助かりますー。ありがとうございます~」
 人に頼ることにためらいがなく、要求が通ったら過剰に低姿勢になる。そうやって生きてきた女の子なのかなと剣持は少し思った。
 まだ新任の養護教諭があたふたと事務仕事をする保健室に、今日もまた彼が来た。椎名は「うーす」と軽く挨拶をする。
「宿題やってきたか?」
「できるとこまで!」
 剣持は毎週水曜に部活が休みなので、その時間を使って椎名の自習を手伝うことにしていた。特に剣持の利益にもならない行動ではあるが、ボランティアというか、いやいや、そんな大義名分じゃない。ただ、彼女のことが興味深くて一緒にいる時間を増やしているだけだ。
 この高校は普通科は四クラスまでしかない小規模な学校だ。だからか、進級や進路の指導はとてつもなくゆるい。そこで留年って、何をやったんだろうと個人的な興味、悪趣味が上回っているのだ。そういうわけで、剣持は「悪趣味でやるからには本気で手伝う」をモットーに、去年の自分のノートを何冊も引っ張り出してきて指導に当たっている。
「ここ分かんなかった。剣持、ノート見せて」
「えっと、そこはこっちのノートで……あった。これ?」
「そう。教科書の図とあたしの頭の中の図がさぁ、なんか違うなーってとき、ない?」
「ある。僕は自分の頭の中に浮かんだほうの図をノートに起こしてるかな」
「あたしと剣持の脳内って似てるんやね。こっちの、ノートの方が分かりやすいもんな。うん」
 そう言って剣持のノートを参考にしながら問題集をすらすらと進めていく。学習の遅れがあるようには見えない。
「もしかして椎名って夕方の方が頭はかどるの。まだ三時だけど」
 これは遅刻早退が多すぎて留年したんだな、と軽く予想してみる。悪趣味だ。
「ん? 聞きたい? あたしの体質の話」
 目を細めて笑う椎名に、剣持は大きなミスをしたと感じた。悪趣味。僕は自分の立場を利用して、彼女のプライベートに立ち入ろうとしていた。自分の行動を恥じた。
「ごめんなさい、不躾でした」
「病気、とかじゃ、ないよ。たぶん、これは」
「僕が聞いてもいい話なの」
「うん。自分でもよく分かってないんだけどー。いっつも寝坊してー、午前中めっちゃ眠くてー、やる気がすっごく『ある』日と、すっごく『ない』日があってー、よく分かんないけど集中できなくて、時々お腹痛くて、気持ち悪くなって、体育についてけないの、あはは、ウケるやろ」
「…………」
 へらへらとした椎名の態度に対し、無言で机を見つめる剣持。いつになく真剣な目つきで、椎名は不思議に思った。
「ま、つまりはただのサボりなんよ。気まぐれが度を越してんの、あたし。クズなんよ」
「その、今言ったようなことって、本当なんだろ」
「な、なに、こわぁ」
 剣持の声色が変わった。椎名はぎょっとしながらも表面上は茶化すように答える。
「保健室の先生に、それ全部話したことある?」
 顔を上げて剣持はそう言った。
「……あんま、ないかも。いつも、眠い~とか、気持ち悪い~ってしか、言わない」
「さっき椎名が話したこと、言えるなら、早めに保健室の先生に言おう。そういうのは自虐するようなサボりじゃないよ。椎名は悪くない。もう、クズなんて言わせない。大人に事情を話せば、なんとかしてくれるはずだ、絶対」
「剣持……」
「だからもう、自分を責めたりするなよ」
 この声掛けが、悪趣味だった剣持のせめてもの贖罪だった。
 椎名は何も言えなかった。でもなんだか、少し苦しいような、でもじんわりと温かい感覚が頭の中を駆け巡って、椎名の瞳は剣持の奥二重の線に集中した。
 養護教諭がそろそろ保健室を閉めるというので、二人は勉強道具を片付けて下校した。この高校はこのへんで一番大きいターミナル駅から少し離れた場所にある。だからみんな自転車やバス通だったりする。
 通学路の近く、バス停のあたりに小道があって、そこを奥へ進むとそこそこな規模の公園がある。遊具は少ないが、花壇や植木は整備されている。二人は公園のトイレでジャージ姿に着替えた。
「やりたかったんや! これ!」
 椎名はスクールバッグから小さくカラフルな半透明の武器を取り出した。
「み、水鉄砲!? ああ、レクの真似事ってこと、かな……?」
「去年さ、あたしもギリで教室にいたころ、クラス全員、レクの時間に校庭でこれやろうって話になって。結局あたしは休んじゃったんだけど」
 このあたりの学校では、週のうち一コマだけレクリエーションをする慣習がある。剣持も去年はその時間にディベート大会だの、たこパだのやったなぁ、と思い出していた。
 椎名はほとんどそでを通したことのないジャージを着られて嬉しいのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。半袖シャツは去年のクラスTシャツで、黒だ。どこかのメーカーのをアレンジしたようなデザインになっている。ハーフパンツは指定の紺色だ。Tシャツのすそは良い感じにアレンジされていて、いつのまにか髪はポニーテールにまとめている。
「よーし、エイムはばっちりやから!」
「エイム? ああ、ゲームするんだ、椎名も!」
「家でゲームしかしてないもん、うち。あはは」
 紫色を剣持が、桃色を椎名が使う。遮蔽物になるようなものなんてないから、ただの脳筋プレーしかできない。ただ正面に立って、走り回って撃ち合うだけだ。なのに、楽しい。夕方のチャイムが鳴るまで、二人は時間を忘れて撃ち合った。
 ベンチに座り、そろそろ帰ろうかという話をしていた時。椎名が口を開いた。
「剣持、長袖で暑くないの」
 それは単純な疑問だった。
「……怪我ばっかりしてるから、見せられないんで」
「うそつき」
 剣持は、見ますか? と自嘲気味に笑いながら言ってジャージのそでを抜き、予防接種を待つような恰好になった。
 間違いなくばんそうこうでは対処しきれないであろう打撲あとが痛々しく残る。椎名は何も言えなかった。剣持はまたそでを通す。
「……そんな怪我、剣道でどんな練習したらそんななるの。けんもち運動神経いいやろ? な、なにがあったん!」
 剣持は黙った。
 本当のところは部内で一部の同級生や上級生から受けている小さな嫌がらせが、積み重なった結果のようなものだ。でも、それをおおやけに言ったら部全体のイメージに関わる。剣持にとって、自分の安全を確保して組織の評判を落とすことより、自分が黙って耐えることで周りも自分も利益を得られる方が優位な考えだった。
 歪んでいるとは思う。もしこれが他人事だったら、剣持は安全面を第一に考えて「健康的な」助言をしていただろう。だけど、「部活動」というものは一部の高校生にとって何よりも大切で、守りたい「居場所」だ。剣持はそこがどんなに歪んでいたとしても、大切な青春の舞台として守りたかったのだ。
 だから、剣持は黙った。
 椎名もあの剣持が何も話せないというのは相当なものなんだろうということを察して、それ以上何も言わなかった。
「着替えよっか。一緒に帰ろう、剣持」
 二人とも同じ方向のバスだった。水鉄砲で髪が濡れてにおうかな、とお互いに気にしながら、なにも話さないまま並んで揺られ、ターミナル駅で違う路線を選び別れた。
 「椎名さん係」というのがとうとう剣持についたあだ名だ。主にそう呼ぶのは先生たち。プリントを届けさせたり、自主学習の進み具合を確かめたりするのにいいように使われている。
 剣持はその呼び名に小さな不快感を覚えつつ、言われた仕事をこなしていった。
 椎名をサポートするのはもはや悪趣味からではなく、百パーセントの友情からきていた。何も苦ではなかった。たいていのことはできた。忙しくなったって、別に構わなかった。
 ただ、サポートされている側の椎名は「椎名さん係」を心配していた。ただでさえ勉強と部活で忙しいだろうに、合間を縫ってあたしに構ってくれる。一緒に遊んでくれたりもして。人に頼ることにはためらいのない椎名も、これにはさすがに申し訳なく思った。それに、何より。
「そろそろ、他の人ら、悪く思っとるやろな……」
 椎名の予想は的中していて、籍を置いている一年四組では小さな火種が生まれていた。
 もうすぐクラス対抗のスポーツ大会が行われる季節だが、四組は椎名の扱いに困っていた。どの種目のメンバーに置くかで論争が起き、団体種目ではどうせ参加しない椎名一人分で戦力に差が生まれるので、四組だけ不公平だと主張する者まで登場した。
 そのピリピリとした空気はスポーツ大会にさほど興味のないクラスメイトにもよく伝わり、ほとんど顔を見せない年上のクラスメイト「椎名唯華」への悪趣味な興味が静かに学校中へ広がっていった。もちろん、それは男女関係なく。
「椎名さんって、本当に学校来てんの?」
「保健室登校だって。午後にやっと来てさぁ、先生が出す宿題を解いて終わりなのヤバいよね」
「ちょっとずるいよな。先輩に椎名さんのこと知ってるか聞いてみよっ」
「うちらの学年、留年した奴いるって知ってた?」
「遅刻多すぎたらしいよ? それくらい気をつければ済む話じゃん、やばいって自覚あるのかな」
「制服着崩しててさ、カースト上位でもないのに何様?」
「宿題出すだけでサポートは友達任せとかさ、先生たちも見放してるよな、絶対!」
「ねえ、実は放課後バス停近くの公園で遊んでたの見たんだよね。剣持と仲良いアピ、正直ムカつく」
「椎名さんと一緒にいて、剣持に何かあったら心配」
 これらの言葉を剣持は様々な場所で耳にした。でも、どうすることもできなくて、そんな自分が嫌だった。こういう言葉たちが椎名に伝わらないように努めようとした。でも、自分の力だけでは限界があることにも気づいていた。椎名はこれに気づかないふりして過ごしてるんだろうな、とまで推測できるほど、悲しいくらいに彼は聡明だった。
 当然、椎名は気づいていた。全部知っていた。高校という居場所にいれば必ず聞こえてくる自分へ向けられたすべての言葉に傷つけられて、それに慣れたと思い込むことが彼女なりの処世だった。最近は言葉の棘も鋭くなり、彼女に直接聞こえるように言うことも増えてきた。賢い剣持は全部お見通しなんだろうな、と思った。
 ある瞬間、椎名唯華の処世の仮面が剥がれ落ちてしまう感覚が確実にあった。それは保健室の布団から起きて、剣持に向ける用の笑顔を練習しようとして手鏡で自分の顔を映した時のこと。どんなに頑張っても、目元からは涙が一筋流れるだけで、口角だけが上がっていた。無様だった。
 ある日、剣持が帰りのホームルーム前の休み時間に保健室へ行った。椎名にプリントを届けるためだ。そうしたら、椎名がいない。養護教諭の話では、つい数分前に早退したらしい。
 まずい、と本能で思った。
 広い街でもないし、と荷物をまだホームルームが始まってもいない教室から持ち出し、後を追った。どうした、と制止する友達の声は無視する。とにかく悪い予感がする。
 椎名は、バス停近くですぐ見つかった。駆け寄って、声をかける。
「うちが心配で追いかけて来たんや? そんな、気にしてないよ。ああいうの」
 不器用に笑う椎名が見ていられなくて、剣持は顔をそむけた。そして、空中に向かってまくしたてた。
「僕は椎名係だから、椎名のこと分かった気になって振る舞う権利があるんです。何も聞いてないふりしてさ、あんたは。全部届いてるんだ、椎名に、ああいう言葉は! 実際、気にしてるでしょう! 何週間も前から椎名が上手く笑えてないの、この僕が気付かないわけないだろ! とにかく僕はあんたがどんなに知らないふりで、誤魔化したって、ここからはもう、そういうテイで接しますからね。椎名が、酷い目にあってるっていうテイで通しますから。もし違ってたら恥ずかしいので心の中で笑ってください」
「……なんやそれ」
 椎名は力なく笑った。椎名のほうを向く剣持。
 ちょうどターミナル駅行きのバスが止まった。二人は乗らなかった。
「僕ね、今ホームルームやってるんだけど、何も先生に言わないで遊びに抜け出したんだ。不良なんです」
 それを聞いて椎名はくすりと笑った。
「やるやん。優等生」
「でしょう」
 ふふっ、と二人とも笑って、その場に小さな花が咲いたようになった。
「なぁ、今からどっか行こう。この街なんもないけどな」
「ゲーム好きって言ってたよね。ゲーセンいきませんか」
「ゲーセンも……いいけど、あれやな、景色のいいところでゆっくりするのもいいな。今は、そういう気分や」
「いいですよ。椎名の行きたいところにしよう」
「うん。カードのチャージで行ける範囲で、できるだけ遠いところがいい」
 ターミナル駅へ行くバスに乗り込み、駅前で降りて他の乗り場へ。この街には丘があって、そのてっぺんには遊具やベンチがたくさんある公園があった。特に話し合ったわけでもないのに、二人は自然とそこへ向かっていった。
 バスの中で剣持は自分のいないホームルームを空想していた。友達が気を利かせてくれれば恐らく穏便。だんまりなら明日、その場で考えた理由を並べ立てて謝ればいいだけだ。
 公園は子供用の遊具がたくさんあった。特に大規模なものが多くて、高校生なのに二人は少しわくわくした。
 直径一メートルくらいの鉄の輪っかを並べてチューブのようにした立体的な遊具や、ぴんと張って丈夫なロープでできたピラミッド型のジャングルジムのようなものなどがある。丘の地形を利用した大きなすべり台もあった。シーソーも、ぶらんこも、動物型の乗り物もある。
 とにかく二人はひととおり遊ぶことにした。剣持はコンプリート。椎名はうんてい以外の遊具を全てやり終えた。謎の達成感に二人で可笑しくなって笑った。
 藤の季節だった。丘の上の公園は薄い紫色で彩られ、夕暮れの紅梅色がそれを包み込んでいた。
 楽しかった、と言い合って、二人は藤のカーテンの下に設置されたベンチに座った。立っていた時、剣持は頭のあたりに花が重なっていた。
「今みたいな時間が、ずっと続いてほしいわ」
 ぼんやりとした調子で椎名は言った。
「僕たち高校生でしょう。きっと、明日も何かしら楽しいこと……」
 剣持は続きが言えなかった。いくら目線を動かしても言葉が出てこなかった。
「分からんもん。うち、今はまだ夕方なのに、明日の朝が、もう怖いんよ。おかしいって思うやろ? あたしもおかしいと思う。変やろ、こんなんさぁ。もう、自分のことなのに、よくわかんなくなって、どうしよ?」
「いいよ、無理しないで、言えることだけ、好きなだけ言っていいよ」
 それだけが今、言えることだった。
 木々が揺れて葉の擦れる音がする。
「もうさぁ、あたし、みんなと同じ時間で動けないんよ。留年して、保健室にしかいられない。そこでやっとできた友達、剣持も、仲良くすると、何も知らない周りが悪く言うやろ。世間の当たり前なんやけどね、男子と女子やし、それくらい分かってるけど。あたしは、剣持と一緒にいられて嬉しいし、楽しい。悪口はあたしが全部受け止めるよ。もうね、途中で、覚悟はできてたから。……でもそれでも、剣持が何かしらの嫌な思いを、将来、今でも、するとしたら。そんなん、ひどいわ。そう考えると、上手く眠れないし、笑えなくなってきた。明日が来ないでほしいって、遠くに逃げてしまいたいって、思うようになった。一人の時は、平気やったのにね」
 瞳を細かく揺らしながら、剣持は言葉を吐いた。
「僕がいなければ。椎名係が僕じゃなければ」
 その独白に椎名は木々のざわめきを掻き消すくらいの大声で返した。
「嫌に決まっとるやろ、あほか!」
「ごめん、僕が馬鹿でした」
 暮れ。紅梅色の空は夜の闇に溶け込んでしまう。そろそろ一番星も見えそうだ。
「単純すぎる僕の場合、ですけど」
 少し考える時間を置いて、剣持は口を開いた。
「そういう時は、馬鹿みたいに、信じるしかないですね、楽しいことを。今日眠る時に、世界中の誰よりも強く信じるんです。楽しい日々が続くはずだ、って」
 眉を下げて、申し訳なさそうな顔をする。それしかないんだ、とでもいうように。
「なんやそれ。それで剣持は、翌朝『しあわせ〜』ってなるの? 単純やな!」
「えへへ。僕ってわりと、シンプルで豪快な人間なんです。だからそれで充分です。でも、椎名は複雑で、繊細で……優しいでしょう。それがいい所だと僕は思うんだけど、今はちょっと大変な方にはたらいてしまっているんですね」
 椎名はふふ、と小さく笑うだけで返した。
「椎名にとって楽しいことって何ですか」
「えー、そうやなぁ、こうして、のんびり過ごせたら本当、他は何もいらん。のんびりが一番。できれば高校のことはあんまり考えたくないな……」
「じゃあ、のんびりしてる、今。この場所。……を寝る前に思い出してみたらどうです。今この瞬間が、明日も続くように、誰よりも強く信じるんです。こういうのんびりした日々が続くはずだって」
 夕闇に剣持の紫がかった髪はよく映える。優しく包み込むような声色で、彼は椎名を助けようと、力になろうとしてくれている。
 でも。
「なあ、そこに、剣持はいてくれるの?」
 寝る前に思い出す光景の中に、この夕闇に溶けそうな剣持の姿を描いてもいいのだろうか。いつまでも続くというのなら、未来のどこかで椎名の隣にいるのが剣持だと、想ってもいいのだろうか。
「僕はどこでもいますからね。ずっと僕は、椎名係ですよ。椎名がいいって言うまで、そばにいます」
 その言葉でやっと、椎名の頭の中の霞は晴れた。
「じゃあ……ほんとのほんとに、大丈夫になってきたかも!」
「ほんとのほんとに? あはは、素人の意見ですけど、役に立ったなら良かった」
 へらへらとした言葉づかいが剣持をなんだか安心させた。これで大丈夫だと、彼はもう無条件に信じられた。
「ほんま、ありがとな」
「いえいえ」
「てか、うちらみんなからどう思われてんのかな」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、椎名は言った。
「正直に言ってもいいなら、まあ、付き合ってると思われてそうだけど……ごめんなさい、あはは。オタクみたいなこと言っちゃって。ほんとにごめんなさい」
 それは、「じゃない」ことをお互いに分かっているからこそ言えた言葉だった。
「ふふっ、そうだなー。ウケるやろな、こういうんは。カップリング好きやもん、うち。よくネットで見るわ。あはは」
「もし僕たちがフィクションのキャラクターだったら、それこそ二次創作とか色々あるでしょうね。はたから見たら、分かりやすいっていうか。描きやすそう。ふふっ」
「そう、王道よ、うちら。留年の保健室登校と、優等生で」
 こんな感じの漫画を読んだことがあるような、ないような。剣持はおかしな気分になった。
「……まあ、これからも椎名さん係たのむわ。剣持といるの楽しいし、何かと便利やしな。なあ剣持、留年しようや、三年間一緒にいるために」
「留年はしねぇよ、流石に。まあ、長く仲良くやっていきましょう。僕も、学校では優等生やってますけど、椎名といるとちょうど良く気が抜けた感じになって居心地いいんです。ま、何とかして、椎名の卒業までは少なくとも面倒みてやりますよ」
「お? カップリング好きな奴が反応しそうなこと言う! その言葉は重いぞ、けんもち!」
「うっせー! そんなんじゃなかっただろ! もうその話題禁止にするぞ!」
 バスの最終時刻を思い出すまで、二人はずっと笑いあった。
おしまい

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