文野環はにじさんじライバーの野良猫です。今日はそんな彼女のお話をしたいと思います。
ある日、道端に落ちていたスマホを拾ったことで、野良猫はにじさんじという事務所に所属する「ライバー」になりました。「ライバー」は、インターネットを使って声を世界中の人々に届けるのが仕事です。
野良猫はにじさんじから文野環という名前をもらって、拾ったスマホで配信を始めるように言われました。上手におしゃべりできたら、おいしい猫缶がもらえるのです。
文野環は、たくさん配信でおしゃべりしました。たまに言ってはいけない言葉が喉の奥から飛び出してしまいそうになり、仲間達をヒヤヒヤさせますが、今までなんとか乗り越えることができました。
今ではスマホだけではなくパソコンを使った配信をしていて、たくさんの「ライバー」や「ユーチューバー」や「インフルエンサー」のお友達に囲まれて、しあわせに暮らしています。
ある時、文野環が配信をうっかり切り忘れてしまう出来事がありました。これが今日のお話の始まりです。
配信を切り忘れていると気づいて、文野環はひらめいて言いました。
「このままさ、どこまで長く配信できるかチャレンジしてみるよ!」
チャット欄では、配信時間には制限があり、長くても半日くらいで終わってしまうとの意見が流れます。
でも、彼女は文野環。その日から彼女はその配信画面を何が何でも終了させないことにしました。
この瞬間、YouTubeが配信が無限にできてしまうバグを起こしたのは、奇跡と言って良いでしょう。バグは修正されないまま、配信は何日も何日も続き、半年、一年、何年もの月日が経ちました。
その間に文野環を取り巻く環境は大きく変化していきました。いくつもの取材を受けました。活動を休止する友達も時間が経つにつれて増えてしまいました。
文野環の配信は、いっこうに終わる気配を見せません。それから何年も、何十年もの月日が経ちました。それでも相変わらず、文野環は何気ないおしゃべりをしたり、歌を歌ったりして過ごすのでした。
やがて時は流れ、百年ほど経ちました。世界情勢は大きく変化し、人類は争い、滅びる国も出てきました。そのまた数百年後、ついに争いの絶えない地球は荒野と化しました。
それでも配信は続きました。YouTubeの会社も潰れただろうって? いえいえ、何らかの形で生き続けていますし、それに何より文野環がパソコンに向かって話しかけ続ける限り、配信は続くと言ってよいのです。
ある日、マグロの猫缶を食べ終えた野良猫は地球を隅々まで見渡してみようと心に決めました。だいぶ前ににじさんじからプレゼントされた、長時間配信をするためのアパートみたいなワゴン車からようやく彼女は外へ出たのです。
外の世界はどこも荒れ果てていました。かつての同僚や友達、事務所のスタッフさんがどこにいるのかも分かりません。ただ一つ分かったのは、この地球は今、とても寂しい場所だということです。
文野環は「ライバー」です。面白い配信をするためには、刺激的な事が起きる環境にいなくてはいけません。
そこで文野環は宇宙へと旅立ちました。人間たちの争いで生き残った人達のための、地球を脱出するためのいれものに文野環は乗り込みました。ちゃんと、ペットの猫用に猫缶を積んだ脱出用ポッドがあるのです。
宇宙に飛び立った文野環は、それでもパソコンに向かって配信を続けました。地球の色が何色に見えたかだとか、月の裏側は暗くてよく見えないだとか話した後に、さて、この脱出用ポッドはどこへ向かうのだろうと思いました。きっと太陽系のどこかの星に仲間たちは移住しているはずです。確か、誰かさんが配信でそういうことを話していたような……。そのはずです。
でも、なかなか到着しません。文野環は初めて泣いてしまいそうになりました。
涙が一滴、こぼれ落ちたとき。ずっと止まったままだったチャット欄が再び動き出しました。
「久しぶりー! みんな、声聞こえてるー?」
どうやら、どこかの星に移住した人間が文野環の配信の電波を受信したようです。宇宙をただよう文野環に、チャット欄が途切れ途切れではありますが応援のコメントを流してくれます。
それで分かったことは、少し残酷な事実でした。文野環は野良猫として、猫用のポッドに入ったのですが、これは飼い主が外から行き先を指定しないと永遠に宇宙を目的なくただようことになってしまうのだそうです。
文野環はそれを知って、半分くらい泣きながら電波のある方向を探し続けました。同時接続者数を当てにして、人の気配を探ります。この中の誰かが、もしかしたら助けてくれるかもしれない。チャット欄ともたくさん会話しました。とにかく、誰かに私のことを知ってほしい!
文野環は、ずっと話し続けました。
もう幾らの年月がすぎたでしょう。もう誰もチャットを動かしてくれる人はいません。彼女の意思次第でなら、いつでも配信を止めることはできるはず。なのに、視聴者がたった1人になっても、そこから誰もいなくなってしまっても、ずっと文野環は配信画面に向かって話し続けるのでした。
(終)